心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後423日目、快晴のいいお天気、思ったほどは寒くはない、でも10度以下、

そんな金曜日の朝である。


昨日はスピリチュアル講座の第5回目だった。


前回から起こった出来事についての色々質問をして、その答え合わせをした。


そして最後にカードリーディングをやってあげた。


たくさん持っているオラクルカードを画面越しに見せて、light work outカードが純粋な感じがしていいみたいなので、それでやることにした。


このカードは、ある占い屋さんの気に入った占い師が使っていたもので、ダンスのカードがよく出るので、ZUMBAとかリトモスをするきっかけになったもので、その占い師もカードの上に可愛い天使が乗っていると言われていた。


緊張したが、まあまあいいカードが出て、程々に手応えがあった。


先生からもうまくアクセス出来てたという評価をいただき、ほっとした。


それから、10月に鞍馬寺リトリートで出会ったヒーラーから久しぶりに連絡が届いていて、日曜日に京都でセッションをしていただくことにした。


このことも昨日の講座でお伝えしたが、何か得られるものはあるだろうということで、安心した。


それから、夜遅くに、満月と新月の時にオンライン瞑想会をされている空中ヨガインストラクターのインスタライブにギリギリ間に合って参加した。


そんなこんなで、最近の平凡な日常から打って変わって、少し動きが出だしたので嬉しい。


そういえば、昨日好きな女性のタイプの話になって、どんな女性が好きか聞かれたが、答えられなかった。


それを言うのは恥ずかしいと言って誤魔化したが、本当はちゃんと考えたこともなかったので、言語化出来なかったのである。


まあ、人に見せなくてもいいから、一度書いてみるといいよ、と言われた。


願望は一度書いてみて、視覚にも残しておくと、忘れた頃には達成できていることも多いと言われたが、そういうことも前にはやっていたこともあったが、確かに実現している願望は多い。


人生は何かを得て、何かを失う過程なのだろうか。


得られるから、失えるのである。


死ぬためには誕生することが必要である。


要するに、循環しているのである。


得ることも、失うことも、生きている証である。

ということで、失うことを恐れる必要はない。


もちろん得ることも恐れなくていい。


どちらも自然の摂理として受け止めよう。


でも、せっかく、人間として、感情という素晴らしいものを持って生まれてきたので、得る時は喜び、失う時は悲しんだらいいだろう。


そして、愛が溢れてきたら、誰かに分けてあげよう。


たまには頭の中を空っぽにしてみよう。


物に対する執着を取るのは難しいが、頭の中の執着は自分に暗示をかけることで出来そうな気がする。


頭の中の執着を取ることが、スピリチュアルの真髄かもしれない。


今朝の結論である。


失うことはある意味幸せなことである。

得る経験をした証なのだから。


そして、最初から何も得られないことも不幸に思う必要はないだろう。

決して、失う悲しみを味あうことがないのだから。