退職後934日目、快晴の空、時々ホトトギスの鳴き声がする
公園のベンチで書いている。
amazonプライムビデオで観ていた同窓会も残すところ最終回のみとなった。
最終回の予告編まで観たが、相変わらずドタバタして終わりそうで、心臓に良くないが、観らずにはおれない。
視聴者の心を弄んで視聴率を稼いでいるスタッフの顔が見え隠れして、憎たらしくもあるが、一方で、感情移入してワクワクしている自分もいて、人間という生き物はよく出来ていると思う。
神が人間を作る時に、そこまでのことを考えて作られたのか、それとも、神とても、完璧ではないので、たくさんの未完成の部分を残したまま見切り発車されたのかは分からないが、罪なことをされたものである。(笑)
それなのに、人間ときたら、その本質があたかも自分の責任のように、自分に対して罪の意識を持ってしまう。
それを天で神が見て、涙してくれているならまだいいが、ドラマを見るように楽しんでいるとすれば、ちょっとムカついてしまう。
人は全てを背負い込む必要はないだろう。
そう言えば、高度成長期のころ、植木等が無責任時代という言葉を流行らせたように思う。
それは真面目な人間が全ての責任を負おうとすることに対する神の救いの言葉だったのかもしれない。
手に負えないことは神に任せよう。
人間は限られた時間しか生きられないのだから。
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