退職後935日目、よく晴れた土曜日の朝、新快速電車で
東に向かっている。
さて、昨夜はamazonプライムビデオで同窓会の最終回を見終えた。
まあ、難しい家庭の問題にはあまり触れずに、男女の愛だけに目を向けた無難な終わり方だったので、後味は思ったより悪くなかったが、少々無理はあった。
ということで次に観るドラマを探っている。
そういえば、昨日ジムでヨガをするのに並んでいたら最近よく話すようになった同年代の女性が後ろに並んでいたので、テレビドラマについて語り合って暇つぶしをした。
Tバーとか、何とかいうアプリを入れることで、無料で見逃し配信を観ることが出来るとか言っていた。
私の場合は、amazonプライムビデオで、昔のテレビドラマや映画を観ることで、今のところは満足している。
ほとんど誰とも話さずに並んでいることが多かったが、話をしながら待っていると、時間が経つのが早くなる。
もちろん気を使いながら話したのでは逆効果で、気さくに話せる人に限るのだが。
そして、話をするためには、その話のネタを持っていなければならない。
ネタを持つためには色々な事をやってみて、何かを感じることが必要である。
結局、全ては循環していて、相関関係は網の目のように複雑である。
だけど、都合の良いところだけを取り出して、ああだ、こうだと、議論している。
ただ世の中の全てを知るほど頭は良くないし、人生は長くはない。
結局は選択しながら生きるしかない。
もちろん、自分が考えられる最善の選択であって、世の中の常識には合っていないかもしれない。
そして、世の中の常識ほどいい加減で、移り変わるものはないのである。
そんな不確実な世の中を生きているからこそ、確実な愛に包まれていたいのである。
確実な愛が無理であれば、不安定な愛でも構わない。
愛のパッチワークでも構わない。
少しでも光が有れば生きていける。
まあ、一番簡単な方法は、自分がその光になる事である。
自分が光になれば、全てを照らす事が出来るからである。
今日は自分が光になってみよう。
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