退職後422日目、今日は射手座の新月、何かをスタートする日、種まきをしよう。
ということで、朝から一つ種を蒔いておいた。
昼からもう一つ種を蒔く予定である。
お店で買う植物の種であれば、何が出てくるかわかっているが、自分の心に蒔く種は、何が出てくるか分からない。
だから、現状維持で、平和にも暮らしたくもなるが、だんだんと飽きてきて、何かやらかしたくなるのである。
それも安全に楽しみたいという条件付きである。
たいていは、そんなに都合よく行かないのであるが、長く生きていれば、忘れた頃に、蒔いた種から、いいことがやってきたりする。
その繰り返しの人生、と思えば、それだけである。
だから、繰り返しではないと思うことにする。
毎日が新しい一日なので飽きることはない、と思うと、毎日が新鮮である。
人生最高の自分を今日表すつもりで生きよう。
準備体操とかしている場合ではない。
本番の連続で、自分を表現していこう。
生涯学習とかいうが、これからは生涯本番である。
教えを乞う時でさえ、へりくだることはない。
教えを乞うという本番を生きているのである。
物語のどんな配役が欠けても成立しないように、地球上で生きているどんな人間が欠けても、バランスがとれなくなるだろう。
そう考えたら、誰もが愛すべき存在で、愛おしい。
自分を愛すのと同様に、自分以外の人も愛せるようになるだろう。
まあ、無理に愛さなくても、嫌うこともないだろう。
ブログは現状の位置確認である。
今いる位置は、果てしなくゼロに近いのだろうか、それとも、ずいぶんと高く登ってきたのだろうか、たぶん、前者だろう。
原点に戻ると、とても落ち着くのである。
心の故郷である。
山の上を眺めると、たくさんの人が手を振って、ここは気持ちがいいよと、誘惑してくる。
そして、その気になって、また登り始めたりするのである。
そして、登りきった頃には、もう皆んな山を下っていて、下から手を振っているのである。
まさに、最近Amazonのミュージックプライムで聴いている、吉田拓郎のイメージの詩の世界である。
山を登ったり、下ったり、いつも孤独な一人旅である。
ということで、たまにはオアシスで一休みするのもいいだろう。
孤独を感じる余裕があるうちは、本当は、幸せのような気がする。
今日は孤独を感じる余裕があることに感謝して、人との繋がりを楽しむことにする。
人は孤独だからこそ、人と繋がる幸せを感じることができる。
孤独を感じた時こそ、全てのスタートである。
今日は新月、月も孤独を感じて、また明日から少しずつ人に観られる喜びを感じるだろう。
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