心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後1168日目、ようやく空がオレンジ色に染まるこの時間、

空中ヨガのジムに行くために、快速電車に乗って、東に向かっている。


ついにマフラーと手袋と帽子を登場させた。


隣の席に女性が座ったが、分厚いスカートとダウンのコートと、マフラーをして、鼻をズルズル言わせている。


顔を見る勇気はないが、こういうのも勇気と呼ぶのだろうか。


まあ、どちらにしても、勇気は無い方である。


失敗を恐れるのである。


まあ、当然と言えば当然であるが、勇気を持ってチャレンジすることがとても素晴らしいという教育を受けて、刷り込まれているので、勇気がない事実を突きつけられると、若干気落ちしたりもする。


全ての思い込みから解放されると、すごく楽に、軽くなるだろうが、空いた空間に、また、新しい思い込みが刷り重ねられていくだけかもしれない。


たぶん、そんなことを繰り返しながら、歳をとっていくのだろう。


人と繋がれるのは、思いが空っぽ同士がチャンスだろう。


ただ、この思いの度合いは表示されているものではないので、その人の中に入って確かめるしかない。


そして、例え空っぽだとしても、自分が受け入れられるかどうかは分からない。


所謂、神様にお任せするしかないのである。


ということで、運を神様に任せて、気楽に生きることにする。(笑)

退職後1163日目、今日も空中ヨガをするため東に向かう快速電車に乗っているが、

一本遅い電車に乗っているため、空は朝焼けで、オレンジ色に染まっている。


11月から月一度、水曜日も、地元のジムで参加していたリトモスの代わりに、空中ヨガに参加することにした。


ついでに、アシュタンガヨガというプログラムも参加する。


体が元気になると、何か新しいことをやろうという活力が湧いて来る。


もちろん、何か新しいことをしようとしても、身を結んで結果を出せるまでになるのはとても大変で、まれである。


ただ、その可能性が高まることは確かである。


こうやって、ずっと可能性を追求してきて、求める人生で終わっていいのだろうか。


かと言って、与えることはとても難しい。


自分を満たすために与えることが、与えられた人のためになるかどうかは分からない。


が、人を満たすことでしか、自分は満たせないのかもしれない。


そうだとすれば、他人軸でしか生きられなくなって、他人の顔色を伺って生きる人生になる。


だから、出来るだけ、人と関わらずに生きようとしてきた。


すると、孤独になって、人恋しくなって、人と関わってしまう。


なんと良く出来た循環なんだろう。


全ては回っているし、動いている。


なのに、ある一点をスクショして、検証して、答えを出そうとしていたことに無理があったのである。


流れるように生きる。


ローリングストーンズ、である。



退職後1162日目、家を出る時はまだ陽は昇っていない

そんな季節がやってきた。


キリスト教信者ではないのだが、やはりクリスマスムードは、なんとなく心に灯がともるようで、物思いにふけったりする時間が、たまらなく好きだったりする。


とはいえ、それも25日までで、その後はお正月気分になるのであるが、お正月と言っても、お年玉をもらえるわけでもなく、ほとんど盛り上がらないのである。


ただ、だんだん陽が長くなって行って、春が近づくことに、希望の光がさす。


おっといけない。


季節の移り変わり毎の、気持ちの変化を先取りしてしまった。


毎年毎年、新鮮な気持ちで、巡る季節に漂っていた方が、生きている感動も大きいだろう。


昔は継続は力なりとか言って、続ける素晴らしさを信じていたが、残りの時間が少なくなると、継続することにこだわる必要はないと思いだす。


数打ちゃ当たる、ではないが、何が当たるか分からないし、死ぬ直前まで、希望を捨てないことが大事である。


ということで、やっと空が本調子に明るくなってきた。


今日はジムで空中ヨガとピラティスを楽しむことにする。