快速電車で東に向かっている。
昨日は無事水泳教室の最終回を終わって、結局、12回、一度も休むことなく出席できた。
とりあえず、フォームの良し悪しはあるにせよ、4種目について25mは泳げるようになった。
クロールと背泳ぎについては、一度だけ、50mプールで泳ぎきることが出来た。
ということで、次の目標は、出来るだけ負担の少ない泳ぎ方で、少しでも長く泳げるようになることである。
次は、9月からの秋季教室に申し込むことにする。
これまでの人生で、これほど水泳に取り組んだことはなかったが、まあ、これも、当然のように入り込んできた、私の人生の一部だろう。
ということで、今年は、オフ会に誘われたことで行き出した、一人カラオケと、ジムの参加者が水泳の先生だったことから始めた水泳教室が、私の人生を彩ることになった。
まあ、これらは、歳を重ねても続けられるという意味で、ありがたい出来事であった。
ということで、今年も半分終わった。
いや、この場合は、コップの水の例えで言われているように、今年もまだ半分あると、いうのがいい。
なくなったものを惜しむより、あるものに目を向けて、今を生きるということである。
そして、なくなったものも、経験としては、しっかり根付いていて、実はなくなっていないのである。
そして、経験は語ることが出来るし、それ以上に、その人の持つ雰囲気を彩ることになる。
目に見えない財産である。
この財産は、お金のように、どこにでも使えるものでなくて、それに合致する環境や人に対してのみ、効力を発揮するのである。
だから、数打って、合っているものを見つけなければ、もったいないのである。
ところが、焦ってしまうと、また、持ち味が薄れる場合があるので、要注意である。
ということで、答えを見つけたがっている自分に気づくのである。
答えは探さなくても、必要な答えは天から降りてくるというのが、まだ理解出来ていないようだ。
というより、気づかないふりをしているだけかもしれない。