心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後942日目、今日は久しぶりに電車で西に行って、

買い物をしたり、お茶したり、今はお城が見えるベンチに座っている。


ちょうどいい気候で、野外のベンチに座っていても寒くない。


ゴールデンウィークの始まりだが、人出はそんなに多くない。


旅行客なのか、トランクを転がしている人もよく見るようになった。


時間があるので、もう一軒何処かのカフェに入ってお茶しようかとも思ったが、気候が良くなって、今珈琲を飲んだばかりなので、野外のベンチの方が気楽でいい。


ボケーっとしていると、さっきまで悩んでいたことも忘れてしまっている。


さっきまで何を悩んでいたか思い出すのに思い悩んでいる。


悩むのが好きみたいである。


悩む代わりに楽しいことを考えてみる。


楽しいことは考えるよりやった方がずっと楽しい。


だから、楽しいことを考えることは少ない。


悲しい磋硪である。


前を歩いて通り過ぎる人の顔を見ても、楽しそうにしている人は少ない。


悲しくて悲しくてやりきれないと歌っていたフォークシンガーもいた。


人生の表舞台が喜びなら、裏にはいつも悲しみがある。


どちらも人間を輝かせるスパイスである。









退職後941日目、曇り空の金曜日、ゴミ出しの後、いつものように

ウォーキングして、氏神様にお参りをして、公園のベンチで書いている。


少し前に占ってもらった時に、1日や月末や15日以外でも出来るだけ神社やお寺に行った方がいいと言われたので、ウォーキング途中にあるので行っている。


動機が不純なので、効き目があるかどうかは分からない。(笑)


昨日ジムの前にスタバに行ってブログを書いた後に、思いついてメモをしたことがある。


一見しょうもないことの奥に重要なことが隠れていて、いきなりその奥の重要なことに触れようと思っても、手前の些細なことを出さないと見れないということである。


だから、たわいもないことを発信する、或いは、行動することが、奥のものを出すためには必要になる。


まあ、ブログでも同じだろう。


最初は今日は書くことがないなあと思っていても、何でもいいから書いているうちに、何か気付きがあって、それを書いているうちに、自分でもいいことを書いているなぁと思う場合がある。


以前は神が降ろしてくれると表現していたこともあったが、案外自分の中のものが出て来ているだけかもしれない。


最初の一歩が大事なのも、結局はそういうことだろう。


いいとこ取りの人生を求めていても、結局は何も掴むことが出来ずに終わってしまうかもしれない。


最初は出来ることから初めて、まずは秘密の部屋の扉を開けることにしよう。


扉が開けば、そこに求めるものがあるかもしれない。


意気込んではいけない。


その扉をただ開けるだけ。


まだ見ぬ部屋のことを思えば楽しくなる。


なんて、今日も儚い夢をみる。



退職後940日目、よく晴れた木曜日の朝、少しだけ洗濯をして、

近くのスタバで、あんバターサンドとコーヒーを嗜んでいる。


もうすっかり春モードであるが、お布団と毛布は、まだ冬と同じものを掛けている。


今朝は朝方だけ暖房もつけた。


今年はコートにも食べ物をこぼしたりしなかったので、クリーニングはやめておこうかとか思っている。


さて、私にはあまり関係ないがゴールデンウィークが近づいてきた。


退職後3回目のゴールデンウイークである。


サラリーマンが出勤する平日は、朝や夕方のラッシュ時に電車に乗るのは嫌であるが、昼間の色々な施設やお店は空いていることが多い。


土日や祝日は、電車は混まなくていいが、施設やお店は混んでいる。


ということで、平日は近くのジムやお店を利用し、電車で遠出する時は土日ということになる。


まあ、こうやって、世の中の平日と土日の平準化を図っていると思えば、納得する。


が、こんなことで納得していいのだろうかとも思う。


もっと激しく生きたいと思ったりする。


そして、それを実行出来ない自分の情けなさにストレスを感じる。


ストレスを感じると白状してしまえば、少しガス抜きが出来て、落ち着く。


溜め込むのが良くないみたいである。


出すためには、体を動かしたり、思っていることを言ったり、書いたり、色々な方法がある。


体を動かすには、動かす場所と体力が必要だし、思ったことを書くには、その媒体が必要だし、思ったことを言うには相手が必要である。


そして、そのためにお金がかかるものと、かからずに出来ることがある。


そう考えると、今の私は、というか、社会全体かも知れないが、いい意味でも、悪い意味でも、ストレスが、お金や人間の行動を動かす大きな力になっているようである。


ストレスが無ければ、とても省エネな人生を送れるかもしれないが、それはそれで面白くないかもしれない。


と、余裕をかましているうちが花かもしれない。


ストレス遊びはそろそろ卒業して、もっと優雅に遊びたいものである。(笑)