心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後944日目、曇り空の昭和の日、空中ヨガをするため、

快速電車で東に向かっている。


最近は往きの電車ではiPodは出来るだけ聴かないようにしていたが、今朝は沢田研二のGS I LOVE YOUという CDを聴いている。


この中の、お前がパラダイス、という曲はヒットして、ベストテンとかにも出ていたことを思い出す。


この頃からバックバンドがグループサウンズの流れをくむ井上堯之バンドから若手に代わったと思う。


ちょうどサラリーマン時代で、友達の結婚式でお前がパラダイスを歌ったこともあった。


内側は同じ沢田研二なのに、歳を重ねて、外観が変わるとイメージが全く変わってしまう。


もちろん、昔からのファンも同じように歳を重ねて、今では、昔のきゃーという叫び声もない。


それでも、昔と同じように声援し、沢田研二はいまだに一線で歌い、派手なアクションを交えて、ステージで走りまくることもある。


ショーケンは、亡くなる少し前に、blue note大阪のライブで初めて観ることが出来た。


ステージに上がる時も両側に人がいて、付き添われていた。


曲間ではとても丁寧に挨拶されていたことも思い出す。


グループサウンズ全盛期はまだ小学生で観ることが出来なかったが、最終的にはなんとか好きな二人を観ることが出来て良かった。


曲を聴くとそれに因んだ色々なことを思い出すが、何もないと何も無かったように息を潜めている。


長く生きて、沢山のことを持っているのに、何も無いと思って、生きているうちに、何かを見つけようと焦っている。


これでは、いつまで経っても満たされることはない。


足るを知るという、使い尽くされた言葉もあるが、たまには積み重ねた人生の棚卸しをして、日向に出してみるのもいいかもしれない。


光る何かが埋もれているかもしれない。











退職後943日目、よく晴れた日曜日の朝、新快速電車で、

東に向かっている。


昨日は西へだったが、今日は東へ、井上陽水の歌じゃないが、東へ西へである。


気温は昼間は28度まで上がるらしいので、今に比べると、14度くらいの高低差である。


たくさん着込んで、暑くなったら脱いでいく。


今寒いのが嫌なのだ。


そして脱いだものをよく忘れてくる。


脱いだり取ったりしたものは、すぐにバッグに入れるようにした。


そのためにバッグを持ち歩いている。


出掛ける時はチェックリストで確認するのであるが、出掛けてしまった後はそんなことは出来ない。


人生も同じだろう。


生まれる前は、あれをやろう、これをやろうと、色々とすることリストに書いて生まれてきたはずであるが、すっかり忘れてしまって、その日暮らしである。


そして、時々、年初めとか何度始めに、そのことを思い出して、もう一度やり直そうとするのだが、長続きすることはない。


人間はそういう風に作られているので仕方がない。


というより、それが、神様から人間に贈られた最大の特徴かもしれない。


感謝しないといけない。


チューリップの曲に、神様に感謝しなければ、という曲があるが、その詩の中に、忘れることを作ってくれた神様に感謝しなければ、とある。


過去のことを引きずっているのは、たぶん神様だった頃の性格が残っているからかもしれない。


もっと人間らしくていいのだ。


というより、人間らしく生きた方が、苦しいけど、面白いだろう。


楽しいことや楽なこともいいが、これからの人生、面白いことを選ぶのも、趣があっていいのかもしれない。


苦しくても、悲しくても、面白いと強がる余裕を持つことにする。(笑)





退職後942日目、今日は久しぶりに電車で西に行って、

買い物をしたり、お茶したり、今はお城が見えるベンチに座っている。


ちょうどいい気候で、野外のベンチに座っていても寒くない。


ゴールデンウィークの始まりだが、人出はそんなに多くない。


旅行客なのか、トランクを転がしている人もよく見るようになった。


時間があるので、もう一軒何処かのカフェに入ってお茶しようかとも思ったが、気候が良くなって、今珈琲を飲んだばかりなので、野外のベンチの方が気楽でいい。


ボケーっとしていると、さっきまで悩んでいたことも忘れてしまっている。


さっきまで何を悩んでいたか思い出すのに思い悩んでいる。


悩むのが好きみたいである。


悩む代わりに楽しいことを考えてみる。


楽しいことは考えるよりやった方がずっと楽しい。


だから、楽しいことを考えることは少ない。


悲しい磋硪である。


前を歩いて通り過ぎる人の顔を見ても、楽しそうにしている人は少ない。


悲しくて悲しくてやりきれないと歌っていたフォークシンガーもいた。


人生の表舞台が喜びなら、裏にはいつも悲しみがある。


どちらも人間を輝かせるスパイスである。