退職後489日目、久しぶりの平日の大阪行き、JAZZのお店は誰もいなくて、いつもの特等席に座れた。
ということで、いつものようにお店の本棚を物色して、つげ義春の無能の人、日の戯れという漫画を選んだ。
頼んだのはチャイティーであるが、コーヒーカップと違って、家庭的なマグカップで出てきた。
つげ義春さんの漫画は小学生の頃に、兄がたくさん友達からガロという漫画雑誌を貰っていて、それを読んだ記憶がある。
あと一つ、COMという漫画雑誌も貰っていた。
COMがビートルズとすれば、ガロはローリングストーンズみたいな雑誌かもしれない。
つげ義春さんのものでは、ねじ式が有名であるが、今日読んだ本の中には、地味であるが、胸を打つものがあった。
特に最初の退屈な日々という作品はよかった。
ビートルズのアビーロードでいえば、一曲目のカムトゥゲザーみたいなものである。
無能な人の連作が、アビーロードのB面の連続する曲たちのような感じである。
ということで、図書館にあれば借りようと思って検索したが、なかったので、購入してしまった。
たくさん借りている本があるのに、先に読んでしまいそうな予感がする。
退屈な日々という話では、作者らしい主人公が、家にいるのに飽きて、5000円で一部屋借りて、そこで、寝転んでタバコをふかしたりしているのである。
そのうち奥さんが部屋の存在に気づいて、何もない部屋に色々なものが持ち込まれるのである。
まあ、文字にすれば何ということもないが、退屈な日々も悪くないなぁと思わせてしまう。
人生も同じだろう。
自分の人生をどう捉えるかで、同じ人生が素晴らしかったり、つまらなくなったりする。
スピリチュアル的に言えば、置き換えというらしい。
スピリチュアルの先生に言わせたら、私の場合は、それは得意なのであるが、置き換えずに、そのままを味合うことが次のステップと言われた。
そうすれば、もっと深い何かに出会えるみたいである。
置き換える前に、ちょっとだけ溜めて、味わってみよう。
優しい愛の香りがするかもしれない。たぶん。
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