退職後477日目、今日は今年初めてのリトモス、ということで、出発まで、モーツァルトと伊集院静さんの本でくつろぐ。
昨日は石原慎太郎著の天才という、田中角栄氏の自伝風伝記を読み終えた。
はっきり言って、田中角栄の印象が今までと全く変わってしまった。
よく芸能界で好きなタレントと嫌いなタレントのアンケートで、どちらも上位の人がいるが、結局は、サイコロの両面みたいなもので、1の裏は7、2の裏は5、3の裏は4と、足したら全ては同じ数字の7になるのかもしれない。
小さくまとまるのか、出る杭は打たれても、とりあえず、出て行ってみるのか、そこが人生の別れ道であろう。
私の場合は、顕在意識としては小さくまとまる小市民的生き方に憧れるのであるが、魂的には、とてもそれでは収まりきれなくて、時々爆発させて、何とか均衡を保ってきたようだ。
ということで、もっと健康的な生活をする為には、コンスタントな小爆発、いや、爆発でなくアウトプットを継続した方がいいという結論になる。
そういう意味では、ブログは貴重なアウトプットの場所であるので、感謝である。
ということで、今は一休みで、骨休めに伊集院静さんの、旅行鞄のガラクタの続きを読んでいる。
夢をかなえるゾウのシリーズとか、昨日予約した田中角栄さんの愛人が田中角栄について書いた本とか、その娘が書いた本とか、読みたい本がたくさん出てきた。
疲れないように、楽しみながら、読んでいこうと思う。
人間の見えない部分を追求すればきりがない。
追求しなければ、見える部分だけを気楽に楽しめる。
が、時々、見えない部分が突然目の前に現れることがある。
そして、気楽だった日常が一変して、また追求する日常に変わる。
ということは、日常も非日常も、全ては日常である。
素晴らしい世界である。
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