退職後440日目、朝ご飯を食べて洗濯して、くつろいでいたらこんな時間に、色々考えることが多い
ということで、あと1時間もすれば図書館及びジムに出発である。
フェースブックを見ていたら、6年前にセッションを受けた岩手に移住したヒーラーが今度京都のホテルで週末にセッションを募集されていた。
つい先日も京都駅前のホテルのカフェでセッションをしたばかりなので、京都にはご縁を感じるが、ちょっと立て込んでいて、迷ってしまっていた。
それでカードを3種類引いてみたが、決定打は出ずに、少し休憩して、ブログを書くことにした。
まあ、こんなことで悩むのは幸せなのは分かっているが、少しでも向上するためのきっかけを相変わらず求め続けている。
早く与える側にならなくてはいけないことは分かっているが、与えている人でも、違う側面では誰からか、足りないものを吸収していることもある。
だからと言って、真似をする必要はないのであるが、人間だから迷ってしまうのである。
そうなのだ。
人間だから迷うのだから、何も恥ずかしいことではない。
人間であることの証明である。
生きている間は人間であり続けなければならない。
そう思うと、人間であることを楽しむしかなくなる。
迷いを楽しむのである。
一見マゾに近いが、もっと明るく迷いたい。
迷いに迷った挙げ句の結論、それを受け入れるしかない。
よくメニューを決める時に、直感の練習と言って、即決めるのをヨシとする風潮もあるが、そういう考え方にさえ縛られる必要はない。
悩む時はいつまでも悩んで答えを出さないでおこう。
それが結論であるのだから。
ということで、悩むこと自体が結論という素晴らしい結論が出たので、今日のブログを終わる。
悩みは過程でなく、結論だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
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