心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後438日目、何も予定がないので、スピリチュアル関係のノートを読み返しながら、モーツァルト関係のCDを聴く

ということで、もう昼前になってしまった。


朝ご飯は発芽玄米のご飯と、豆腐とワカメと昆布といりこの味噌汁と梅干を食べて、その後、メルティキスというサイコロ形のチョコを数個と、バナナを一本間食して、あまり昼ご飯を食べようという気にもならない。


スピリチュアルのノートには魂の喜ぶことしかやらないと書いてあったので、魂が選択するのを待っている。


なかなか回答を貰えないのは、かなり詰まっている証拠である。


スピリチュアル的に言えば、ブロックというやつである。


次回の講座ではそのブロックとやらを外して貰えるそうで期待している。


生きてきた時間が長い分、相当、ブロックが詰まっていると思うが、そろそろお別れの時が来たようである。


と、何回言ったことか、これがなかなか別れられないのである。


ブロックを外そう外そうとすることで、尚更ブロックは勢いづいて、勢力を増しているのかもしれない。


コロナがなかなか無くならないのと同じなのかもしれない。


魂についても同じかもしれない。


魂の声を追い求めると、魂は恥ずかしがり屋なので、どんどん遠ざかるのかもしれない。


女性も追うと逃げていくが、魂も女性のようなものだろう。


私が女性を求めるのはきっと魂を求めているのだろう。


きっと男の魂より女性の魂のほうが度胸があって、表に出てきているので、掴みやすいのだろう。


そう考えると、スピリチュアルはあまり解明しようとしない方がいいのかもしれない。


そう言えば、ある占い師に、スピリチュアルを学ぶのはもう辞めて、自分を生きた方がいいよと言われたことがあった。


全て持っているので、あとは出すだけ、と色々な人に言われた。


出す場所がないと思っているけど、出す場所を選び過ぎているのかもしれない。


もっと気楽に選択すれば、その気楽さに合う、軽やかな現実に遭遇出来るのかもしれない。


ということで、魂の喜ぶ場所を選び過ぎて、何もしないことのないようにしよう。


魂の嫌がらない場所くらいにステージを落とせば、行動しやすくなるのかもしれない。


魂が喜ぶことが分からなかったら、魂の嫌がらないことまでレベルダウンして、動くことを大事にしよう。


そのうち、魂ともわかりあえるかもしれない。


第一歩を踏み出そう。


今日をその一日目にしよう。