心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後437日目、寒いが快晴、ニットの帽子と手袋とダウンのマフラーの三重装備

ということで、今シーズン初めてのニット帽子で耳を覆って、寒さ対策をしている。


昨夜もスピリチュアルな出来事盛りだくさんで、夜中まで起きてインスタライブを聴いて、チャットで参加していた。


鞍馬寺リトリートで初対面して、ハグして別れた女性がゲストで参加していて、とても輝いていたので、いっぱい褒めてあげたら満面の笑顔で喜んでくれたので、私も幸せな気持ちになった。


その後は、満月と新月時に開催されるインスタライブであるが、昨日は双子座の満月で、何かを手放すのに最適と言われたので、過去を手放して、今を生きるとお月様に言われたと言った。


せっかく生きた過去なので、手放すのは勿体ない気持ちの方が大きかったが、物と違って、過去は手放しても、いつでも呼び戻すことは可能なので、思い切って手放してみようと思う。


と、今まで何回思ったことか(笑)、そんな思いもまた手放そう。


あとは罪悪感の手放しである。


過去世がレムリア時代の人は、大陸を沈めたという罪悪感を持っているらしい。


ちょうど二年前に福岡市の筥崎神宮の近くのスピリチュアルなお店で、レムリア水晶を購入したが、その時、そのお店のヒーラーオーナーに、私はレムリアに縁があると言われたので、罪悪感はそのせいにすることにする。


ちょっとしたことで、闇の中に落ち込んでいくし、ちょっとしたことで、生きたまま天国を味わうことが出来る。


天国ばかりでは飽きてくるし、もちろん闇の中にいたら、光が恋しくなる。


昼と夜が交互に来るように、闇の部分と光の部分を同時に持っていて、二つのコントラストを楽しむのが人間としての喜びを得るコツかもしれない。


そういえば、昨日のインスタライブでも、自己愛にも深さがあって、浅い自己愛は、いい時の自分は愛せるが、悪い時の自分は愛せない、深い自己愛はどんな自分も愛せる、というのがあった。


すなわち、闇の自分も、ダメな自分も愛せるということである。


それをエネルギーとして、闇から這い上がって行こう。


そういえば、満月瞑想の主催者が、来年の目標は幸せになること、と仰っておられたが、幸せになるにはすごくエネルギーが必要なので、私にはまだそんな願望も湧いてこない。


幸せになる以前に、安全、安心、平和でいたいのである。


その土壌の上に、幸せが自然に育っていくだろう。


そういえば、準備はいくらしてもキリがないので、実行することは準備することと同じことかもしれないと思うようになった。


形にこだわることはないだろう。


生きている限り、全て本番と思わないと、面白みも半減するのかもしれない。


自由なことを形にはめる必要はないだろう。


そういえば、最近よくamazon musicで聴いている吉田拓郎さんのイメージの詩の中の歌詞で、自然に生きているって分かることは、なんて不自然なんだろう、というのがあるが、自由に生きることを意識し過ぎると、自由からどんどん遠ざかるのかもしれない。


今日は「自由への自由」を体で感じて生きてみよう。


それが、魂で生きる第一歩かもしれない。