退職後876日目、やっと書き終えたブログを公開しようと思ったら
題名がないと表示が出た。
題名は書いていたのだが、消えてはおらず、薄い字では残っていた。
ということで、焦って、色々操作していたら、その画面は戻ってくることはなかった。
ということで、仕切り直しである。
さっきまでは電車の中で書いていたが、今は、空中ヨガのジム近くのいつものカフェに来ている。
まあ、さっき書いたことと同じようなことを書くのは簡単であるが、生む苦しみも無ければ、トキメキもない。
人のために書くのであればそれでもいいが、半分は自分のためにも書きたいのである。
ブログを書くことには生みの苦しみと、喜びを伴っている。
子供を産むようなものである。たぶん。
苦しみと喜びがセットになっているので、どちらかだけを取り出すことは出来ない。
昔よく聴いていたSIONさんの楽曲にもそんなうたがある。
幸せは一人では歩かない、いつも不幸せとつるんで歩いている、という出だしである。
幸せと不幸せとは仲がいいみたいである。
困ったものであるが、今までの人生を振り返ると認めざるを得ないだろう。
そして、人生の最後を幸せにするために、今までは、不幸を少し多めに配分していたと考えることにすれば、気が楽になる。
まあ、与えられる苦しみよりは、進んで受ける苦しみの方が楽である。
例えば、少しきつめの運動をするとか、甘いものを食べるのを少し我慢するとか、である。
苦しみを、喜びの糧になるものに限るように選択すればいいのである。
ただ、そんな打算的なことは考えずに、ただただ落ちていきたい誘惑があることも否定出来ない事実である。
不良願望である。
色んな感情が混ざり合って出来上がるのが一人の人生である。
深く考えることも、浅く考えることも、どちらも大事である。
変化することを恐れない。
変わらないことを恐れない。
全ての感情を受け入れる。
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