退職後779日目、氏神様に行こうと思っていたが、気が進まないので、
部屋で、アルゼンチンタンゴのCDを聴きながらのんびりくつろいでいる。
少し人生について考えたかったのだが、やはりかしこまって考えても何も出てこない。
それならば、ブログでも書こうということで書いている。
スピリチュアルでは、よく自分で人生の筋書きを作って生まれてくると言われているが、生まれてきた時には全部忘れているという、それを確かめようがない話になっている。
それなら、そんな話はないも同然であるが、そう思うことによって、自分の人生がどんなであろうと、自分の責任ということになって、納得せざるを得ないのである。
要するに諦めが肝心ということである。
諦めというとネガティブな感じなので、開き直りという方がいいのかもしれない。
これはこれで投げやりな感じがしないでもない。
では、ポジティブに、新たな筋書きを書くとしたら、どんな人生が送りたいのだろう。
苦しみの中で生きることなんか全く思いつかない。
現世では苦しみは既に味わっているので、たのしさとか喜びしか思いつかないのである。
ということで、現世の自分では設定出来ない辛いことを生まれる前の自分が設定しているのだろう。
愛の鞭である。
ということで、苦しみは神様が与えてくれるので、現世の自分は喜びを求めるだけでいい、という結論である。
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