退職後950日目、快晴の子供の日、ジムでよがをした後、
ジムからの帰り道のカフェでランチして、お茶している。
家庭画報と婦人画報を読んだ後、明日が返却期限の月の立つ林でを読み終えた。
と言っても、最後の章は斜め読みだった。
家庭画報は京都の特集で、美味しそうなお店がたくさん撮されていたが、たぶん行くことはないだろう。
まあ、写真を見たら大体は想像出来るので、食べたつもりになる。
お腹に入ってしまえば、それまでである。
食べている1時間か2時間にその価値が凝縮されている。
そして、その価値に高価なお金を消費するのである。
そういえば、子供の頃だったか、つもり遠足、というのがあった。
何らかの理由で遠足に行けない時に、遠足に行ったつもりになって楽しむということだったと思う。
それでいえば、つもり高級料亭である。
そんな時には想像力が大事になる。
想像と妄想の違いは何だろう。
想像というと明るい感じだが、妄想というと、何故か秘密めいている感じがして、奥が深いというか、闇が深い。
新月は真っ暗で、何かをスタートするのにいいらしいが、逆に言えば、何かをスタートさせるには一度真っ暗闇にすることが手っ取り早いのかもしれない。
夜明け前が一番暗いともいう。
中途半端に豆球をつけて、なかなかスタート出来ない状態から抜け出すには、豆球さえも消してしまうことが必要だ。
悩んだら、目を閉じて、真っ暗闇の世界を感じて、そこからスタートしよう。
暗闇の中に真実は隠されているのかもしれない。
明るいところばかりを見ていてはいつまで経ってもスタート出来ない。
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