退職後723日目、ジムの時間まで部屋でくつろぐ。
ということで寝室で書いている。
さっきまで少しベランダで瞑想らしきものをしていたが、暑くなってきたので、部屋に戻ってきた。
今日の最高気温は32度らしい。
当分30度台が続くが、10月2日に最高気温が29度になって、最低気温は初の10度台に下がっていた。
今年もやっぱり秋が来て、冬が来て、今年も終わるのか。
今の時期になると一年経つのは早いなぁと言うのであるが、夏くらいまでは全然早くないのである。
時間の感覚とは不思議なものである。
需要と供給の関係みたいなものである。
時間の需要が多ければ、時間の供給が追いつかずに、時間の価値が上がるのである。
時間の価値が上がると一瞬一瞬の濃度が濃くなって、時間に厚みが出てくる。
そうすると短い時間でも長い時間と同じだけの価値を感じる。
逆に、時間の需要が少なければ、時間が余って、時間の価値が下がっていく。
だが、時間の重さに耐えられなくなったら、こういう薄い状態も悪くはない。
自分を空っぽにすることで、また大量のものを受け入れられるようになるかもしれない。
これを繰り返すことで、バランスの良い人生が送られるのであるが、現代社会では、そう簡単にこのループには乗れないのである。
人工的な思惑が張り巡らされていて、油断をすると、気が付かないうちに、脚をすくわれてしまう。
ネットで発信している人は自信たっぷりの人が多いので、尚更である。
自信たっぷりである必要はないだろう。
ありのままの自分を出す、それが出来なければ、出す必要はないだろう。
今は出すタイミングではない、ということだけのことである。
準備をして待つだけである。
まだまだ時間はたっぷりある、と思うと、余裕のある行動が取れそうだ。
死ぬことを考えるのは死ぬ時で十分だ。
そんなことを考えた月曜日の朝、思考の自由が、心を開放させてくれる。
何もなくても幸せな気持ちは作れるだろう。
人間だもの。
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