退職後527日目、久しぶりの朝の投稿、そして久しぶりにリターン・トゥ・フォーエバーを聴く
1972年といえば、私が中学3年から高校1年の、思春期真っ只中の頃である。
その頃はジャズは聴いてなかったが、初めて聴いたのはジャズ喫茶によく行くようになった大学の頃かもしれない。
当時のお気に入りのshineというジャズ喫茶にはパラゴンという、でかい左右一体型のスピーカーがでんと構えていて、その隣にレコードをかけるブースがあった。
その奥にトイレがあったので、トイレに行く時に、その機材とか、今かかっているレコードのジャケットを見るのが楽しみだった。
そして、マスターはお決まりの髭ずらの愛想の無いおっさんで、アルバイトの若いお兄さんがいることもあったと思う。
リターントゥフォーエバーはあまりにもポップなので、難しい顔をして、腕を組んで聴く風潮があったジャズとは異なるものだが、非の打ち所がない透明さが純粋過ぎて、恥ずかしくなるほどである。
音楽と共に、時代が蘇ってくる。
リターントゥフォーエバー、訳すると、永遠に戻れ、だろうか。
今の瞬間がどんどん去っていって、無くなると思うから、寂しかったりする。
それを永遠という単位で考えると、永遠の中を単に時間という道に沿って歩いているにすぎないのだ。
そして、その道は何処かで途切れることになる。
但し、それは道が無くなったに過ぎない。
永遠に戻って考えると、それは道に過ぎないのである。
永遠に帰ってしまったら、それは永遠の一部でしか無くなってしまう。
ワンネスとか、地球は一つとかいうが、せっかく永遠から脱出して、個になったのであるから、孤を生きないともったい。
そして、十分に楽しんで、悲しんで、喜んで、苦しみのたうち回ったら、また永遠に戻っていこう。
帰るところがあるのは素晴らしい。
安心である。
木曜日の朝、自室でチックコリアのリターントゥフォーエバーを聴きながら、そんなことを思った。
帰るところがある幸せを噛み締めよう。
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