退職後508日目、曇り空の中、大阪へ快速に乗って
iPodからは青江三奈の気怠い女の切なさを謳った歌が聴こえてくる。
たぶん切ない感情を味わっている時は辛いかもしれないが、ある意味幸せなのかもしれない。
感情が無くなってしまえば、モノクロの人生になってしまう。
まあ、色の無い人生もたまには芸術的でいいのかもしれないが、きどった人生ばかりではせっかく生まれてきた人生、勿体ないだろう。
色をたくさん重ねたら最後には黒になってしまうかもしれないが、光を重ねるのだったら、虹になるのかもしれない。
そう、たまには、自分の人生を現在進行形の肉体を離れて、俯瞰してみるのも必要だろう。
きっと、とても愛しくなるだろう。
自分という枠の中で、時間という軸に沿って、時速1時間の早さで規則正しく進んでいる。
しかも地球上の全員が足並みを揃えてである。
何という真面目さであろうか。
人間を卒業するまでの義務教育期間であろうか。
地球の生活が楽しくてやめられなくなった人たちは、わざと劣等生になって卒業を延ばして楽しんでいるのかもしれない。
その気持ち、分からないでもない。
というか、私のことかもしれない。
でも、そろそろ劣等生は卒業してもいいだろう。
さて、卒業の課題にでもかかることようか。
人生における愛の力について、その辺を追求してみることにする。
色々実体験を重ねる必要があるので、少し時間がかかりそうだ。
まだまだ死ねそうもない。(笑)
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。