心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後506日目、寒いのは寒いが、2月も半ばを過ぎ、ようやく冬も終盤にかかって、何故か感情的になる。

夏の終わりに感傷的になるのはいつものことであるが、冬の寒さが名残惜しいのは今までなかった思いである。


きっと歳を重ねたせいであろう。


ということで、気を紛らすために、無駄に色んなことをしている。


と言っても、まあ、料理を作ったり、出来るだけ歩いたり、ジムでリトモスやZUMBAやヨガをしたり、気に入った本があれば図書館で借りて、返却期限を気にしながら読んだり、スピリチュアルや腸活の講座にzoomで参加したり、そして、毎日欠かさずブログを書いている。


同じようなことの繰り返しのように見えて、少しずつ、手放すものが出てきたり、新しく加わるものが出てきたりしている。


今まではお金をアウトプットして、経験をインプットしていたが、いつまでもこんな生活では行き詰まるだろう。


逆パターン、すなわち、経験をアウトプットして、お金がインプットされる、そんな時がくるだろうか。


来るかもしれないし、来ないかもしれない。


神のみぞ知る、というか、神もワクワクしながら見ているのかもしれない。


まあ、所詮、神と言っても、その程度のものと考えた方が生きやすいだろう。


目に見えないものを崇めるのは何故だろうか。


まあ、マスク美人のようなものだろう。


マスクをとってもいいよと言われても、とるのが怖い人達がたくさんいて、なかなか元の状況には戻れないだろう。


それはそれでいいのかもしれない。


外観で判断出来ないのはある意味いい。


というようなことを、感傷的な冬の夜に思うのである。


感傷とは、古傷が疼(うず)くことなのかもしれない。


そういえば、松井久子さん著の「疼くひと」という本を買って読んで、今も本棚にある。


内容はすっかり忘れてしまったが、もしかしたら、古傷が疼く話だったのかもしれない。

(もちろん違う可能性の方が高い。(笑))


確かめずに、当分このままほっておくことにする。


古傷が疼く夜は、早めに寝よう。


明日になれば、きっと、何もなかったような顔をして、明るい未来に向かっているだろう。



↓ 昼ごはんで食べたロールキャベツランチ