退職後506日目、寒いのは寒いが、2月も半ばを過ぎ、ようやく冬も終盤にかかって、何故か感情的になる。
夏の終わりに感傷的になるのはいつものことであるが、冬の寒さが名残惜しいのは今までなかった思いである。
きっと歳を重ねたせいであろう。
ということで、気を紛らすために、無駄に色んなことをしている。
と言っても、まあ、料理を作ったり、出来るだけ歩いたり、ジムでリトモスやZUMBAやヨガをしたり、気に入った本があれば図書館で借りて、返却期限を気にしながら読んだり、スピリチュアルや腸活の講座にzoomで参加したり、そして、毎日欠かさずブログを書いている。
同じようなことの繰り返しのように見えて、少しずつ、手放すものが出てきたり、新しく加わるものが出てきたりしている。
今まではお金をアウトプットして、経験をインプットしていたが、いつまでもこんな生活では行き詰まるだろう。
逆パターン、すなわち、経験をアウトプットして、お金がインプットされる、そんな時がくるだろうか。
来るかもしれないし、来ないかもしれない。
神のみぞ知る、というか、神もワクワクしながら見ているのかもしれない。
まあ、所詮、神と言っても、その程度のものと考えた方が生きやすいだろう。
目に見えないものを崇めるのは何故だろうか。
まあ、マスク美人のようなものだろう。
マスクをとってもいいよと言われても、とるのが怖い人達がたくさんいて、なかなか元の状況には戻れないだろう。
それはそれでいいのかもしれない。
外観で判断出来ないのはある意味いい。
というようなことを、感傷的な冬の夜に思うのである。
感傷とは、古傷が疼(うず)くことなのかもしれない。
そういえば、松井久子さん著の「疼くひと」という本を買って読んで、今も本棚にある。
内容はすっかり忘れてしまったが、もしかしたら、古傷が疼く話だったのかもしれない。
(もちろん違う可能性の方が高い。(笑))
確かめずに、当分このままほっておくことにする。
古傷が疼く夜は、早めに寝よう。
明日になれば、きっと、何もなかったような顔をして、明るい未来に向かっているだろう。
↓ 昼ごはんで食べたロールキャベツランチ
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