退職後450日目、スピリチュアルセッションの後、ジムでヨガ、その後うどん屋さんでおけうどんを食べる。
ということで、桜餅と菓子パンと食べながらカフェインレス珈琲を飲んでくつろいでいる。
聴いているCDはプエルタンゴという三人グループのファーストアルバムである。
と言ってもセンカンドアルバムが出たかどうかはわからない。
柴田菜穂さんというアルゼンチンタンゴのバイオリニストの別のグループのライブに行った時、ライブ会場でサインをしてもらって買ったもので、懐かしい。
スピリチュアルセッションでは欲張りは良くないというブロックを外してもらった。
と言っても、ブロックとか魂の声とか、目に見えるものではないので、外れたとか、聞こえたとか、わかるものではない。
その辺については、たとえ思考だとしても、自分から出たものには変わりないので、とにかく自分を信じてあげることが大事だそうだ。
そのうち、勝手に感性が研ぎ澄まされてくるということである。
例えば、天使というものがいて、必死になって声をかけているとして、その声をどうせ自分の思考だからと思うか、もしかしたら天使の声かもと思うかで、天使の今後の呼びかけ方が変わってくるようなものである。
詐欺が横行する現在においては、信じることの大切さについては重要視せずに、疑うことの大事さが重要視されがちであるが、せめて自分自身については、信じることから全ては始まるようである。
私が自分自身に出す次回までの課題は、最近疎かになっているウォーキングをしながら、ブロックが外れた隙間に新しい何かを吹き込ませると決めた。その何かが、次のステップのヒントになることを期待することにしよう。
そういえば、最近毎朝送られてくるメルマガにも書いてあった。
過去の色々な思いの中で消すことの出来ないものは、これから先、必要になるものなのなので、消す必要はないと。
思考で解けるほど人生は単純ではない。
思考を止めた時に答が降りてくる奇跡を目の当たりにすると、自分で解かなくても、神が与えてくれるものもあることに気がつく。
そして、神の正体は、自分であり、宇宙であり、信じる時にのみ存在し得るものである。たぶん。
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