退職後436日目、昨日は完全家ごもりだったので、今日は遅めだがウォーキングに出た、いい天気である。
ということで、風は冷たいが太陽が燦々と照っていて、気持ちがいい。
昨日はスピリチュアルなセミナーの一回目を終わって、夜は3ヶ月継続中のスピリチュアル講座のインストラクターからチャットが来ていて、最近の気づきとかを報告した。
前者の方では、セミナーが終わった時になっていたい姿を想像する課題があって、空の上に浮かんでいて、周りにはお花が咲いていたり、虹が出てたり、パステルカラーの世界で、クラシックのバイオリンの軽やかな音が聞こえていると言った。
最後にその状態に近づくための一歩を何か決めて実行する宿題が出たので、簡単に出来そうな、クラシック音楽を聴くことにした。
持っているクラシックのCDはそんなに多くないが、その中で、軽やかな雰囲気をイメージして、まずは千住真理子さんのCDを聴いたが、少し重かったので、諏訪内昌子さんのベスト盤にしたが、これもイメージが違っていて、最終的には、モーツァルトの作品を8人くらいの弦楽器奏者が演奏しているものにした。
確かに軽やかで爽やかであるが、そういう満たされた世界は心に穴が開いた感じで、とても不安定である。
やはり、退屈なので、多少重くても、地に足をつけた音楽を聴きたくなる。
ジャズとかアルゼンチンタンゴとかがそういう状況から生まれた音楽だと聴いたことがある。
日本の音楽で言えば、歌謡曲にもそういう要素はあるだろう。
人生も軽ければいいというものでもないだろう。
適度に重かったり、ジグザグだったり、凹凸があったり、変化がないと面白くない。
ということで、そういう変化をお金と引き換えに手に入れていたが、そろそろお金を払わずに、出来れば、お金を貰って手に入れたいものである。
変化を創る側になるということである。
そういえば、体感できることしか、体現出来ないと誰かが言っていた。
体感=イメージ、又は妄想かもしれない。
そして、それを表現する手段の一つがブログかもしれない。
文章にすることで、直感の感度も増すらしい。
表現することで、色々なことが繋がって、形が見えてくる。
さて、ウォーキングから帰ったら、ジムのヨガに行って、妄想することにする。
妄想が現実を創るだろう。
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