退職後405日目、よく晴れた秋の日曜日、窓の外のシラカシの木にちょっと大きめの小鳥が遊びに来ている。
ということで、今日は自室からオールデイズのCDを聴きながら書いている。
昨日はお気に入りのカフェに行ってランチした後、季節毎にLINEで挨拶してくれる女性から秋のお便りが来ていた。
5年前にお酒を飲む場所で知り合った女性であるが、コロナでずっと山陰の故郷に帰ったままであるのに年に4回のお便りは欠かさない人である。
最初は何か裏があるのでと警戒していたが、詮索するのはやめて、素直に、ずっと想ってくれる感謝の気持ちを返している。
確かに、俺俺詐欺とか、枕営業とか、疑えばキリがないが、疑い出すと誰とも付き合えなくなる。
そう言えば、昨日、初老の女性が玄関の呼び鈴を押して、訪ねてきた。
門の所に出て、話を聞くと、娘さんが登校拒否になっていた時に、先祖を大事にすることを実行したら登校拒否が治ったので、もしそういう家庭があれば相談に乗ってあげているということだった。
そんなことをいきなり知らない人が訪ねて来て言われたら、ほとんどの家では宗教の勧誘とかと思って相手にしないだろうが、それでも個人の意志でそういうことをやろうと思うのは素晴らしいことだと労ってあげた。
知らない人のために自分を犠牲に出来る人は素晴らしいと思うが、まずは、自分が救われないとその境地には行けない。
そう思い出すと自分を救うことで、人生は終わってしまいそうである。
ということで、人を救うことは自分を救うことと同じことと思えば、同時に叶えることが出来る。
深いところで繋がっていると思うことである。
宇宙から見れば、人間も地球を構成する一部に過ぎないだろう。
どんなに強烈な個性の持ち主であっても、地球としては調和されているのである。
個性を出すことに疲れたら、地球と同化して休もう。
本当の死の前に、小さな死をいくつか経験しておくことは大事なことかもしれない。
ということで、今日は少し休もう。
長い人生、少しくらい休んでもいいだろう。
それでも頑張り続けると、天が強制的に休ませてくれるだろう。
そんな時は感謝して受け入れることにする。
疲れて、自分に自信が無くなったら、、天(神)に任せてしまおう。
以外といい働きをするだろう。(笑)
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