心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後402日目、文化の日、秋晴れで暖かくなってきた、穏やかな祝日の始まり

ということで、今日はジムのヨガも遅い時間なので、遅めのウォーキングに出た。


陸上競技場では、市のスポーツカーニバルとやらが開かれているが、そんなに人は多くない。


目の前のサブグラウンドに黒背広の管理職風の男性が、何か語りながら、コースを一周して行った。


サラリーマン時代を思い出す。


出張で上司と現場を色々回ることがあったが、常に気が張っていた。


もちろん部下と一緒の時も、また別の緊張がある。


上司らしくしないといけない、と思うからである。


それが一人になると、とても楽になる。


それで、出張の行き帰りでも、出来るだけ現地集合にするようにした。


と、そんなことを思い出した。


昨日はジムでリトモスだったが、30人定員のところに35人が並んだので、抽選で5人落ちた。


幸いにも私は当たったが、外れた人の中には、いつも私の後ろで踊っていた女性がいた。


一度も話しも挨拶もしたことがなかったが、その女性が抽選から外れて立ち去る時に、私に手を振って、いつも後ろで楽しく踊っていたのに、と言ってくれた。


あまりに親しげに手を振って、話しかけてくれるので、一瞬時間が止まったが、何か喋らないとと思って、また今度ね、と何とか声にすることが出来た。


まあ、それだけのことだが、そのことがあって、昨日はとても幸せな気持ちでいることが出来た。


人間の心って、なんて単純に出来ているのだろう。


人に愛を与えるのは難しそうだが、人から愛をもらうのは一瞬で出来る。


でも、もしかしたら、無意識のうちに、愛を与えていたのかもしれない。


存在を通じて人々に愛を注ぐ、という私の天命の一つはこういうことかもしれない。


言葉とか、文章で愛を伝えるよりは、ずっと省エネで、楽である。(笑)


それに、言葉や文章と違って、誤解を生むことも少ないだろう。


そんな都合のいいことを考えた、天気の良い祝日の朝である。


言葉や文章にしなくとも、愛は存在で伝えることが出来るだろう。きっと。