退職後382日目、風が少しあるが、爽やかな秋晴れ、久しぶりのウォーキング、正面にはお月様も見えて朝の月光浴瞑想、そんな朝
ということで、久しぶりにいつもの公園のベンチから書いている。
鞍馬寺リトリートに行ったり、天命のワークをしたり、かなりスピリチュアル活動をしたので、自然の中で、頭と体を休めることにする。
労働の後の一杯が美味しいように、頭や体を使った後の休息が心地よい。
やる前は、人間関係がややこしいと思ったり、今更こんな面倒なことをやらなくてはならないのかと思ったりしていたが、やる流れになって、やってしまうと、それが必然だったように思えるから不思議である。
そういう成功体験があると、だんだん未知のことに対するハードルが下がってきて、色々なことに挑戦しやすくなる。
ということで、やる人と、やらない人の二極化が進むのかもしれない。
やはり、きっかけが重要である。
私も誰かにそういうきっかけを与えられる人になれたらいいと思う。
そのためには、まずは自分の中に溢れるばかりの愛があることが大事である。
そういえば、リトリートの主催者から、リトリート後にメールを頂いて、私は愛を欲しがっていると自分の顕在意識では思っているが、実際には、愛が溢れていて、与えたがっていると、言われた。
そして、昨日した私の天命ワークの結果もそれに繋がるものだった。
私の顕在意識で認識していないことが少しずつ暴かれていく快感を今味わっている。
裸になってお風呂に入るように、いっぱい着込んだ生き様を脱ぎ捨てて、裸の自分をしっかり見つめる時を持とう。
裸で生まれて来た人生、服は着ていても、人生の垢は落としてから、去ることにする。
まだ時間はたっぷりあると思うので、少しずつ。(笑)
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