心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後354日目、台風前の穏やかに晴れた朝、カラスの鳴き声が、優しく響く。

ということで、夏と秋が行き違う日々が続いている。


この週末は三連休らしいが、台風の影響で、荒れそうな模様である。


昨日は久しぶりに、プライムビデオで、アキラとあきらの第一話の続きを見た。


1話全部見たと思っていたが、まだ半分残っていた。


後半は、二人の主人公のうちの一人の親が経営していた会社が潰れて、親戚の家にお世話になるところが描かれていたが、私の親も小さな工場を経営していたので、涙が出てきた。


私の親も工場に機械を入れるために、親戚にお金を借りた事があったが、一つ間違えれば、同じような運命になっていたと思うと、感情移入して、涙が出るのである。


その主人公の場合は、その経験を基にして、頑張ることが出来たのだが、現実では、色々なケースに分かれて、悲喜交々のたくさんの人生ドラマが起きているのだろうと思う。


現実の人生も、選択の繰り返しで、後戻りの出来ない、片道切符の人生を、今は見えないゴールを目指して、歩いている。


同じ苦労は二度と味合わなくてよいかわりに、同じ喜びも二度と味わえない。


全ての記憶が薄らいでいくのは、今を全力で生きられるように神が気を遣って、忘れる、という機能を人間に作ったからだと、チューリップの神様に感謝しなければ、という歌は教えてくれている。


その神が作った、忘れる、という機能も不完全なようで、この歳になると、忘れられないことも、たくさん、できてくる。


まあ、それも、神様が意図して、手を抜いたところだろう。


たぶん、人間を作った神様は、不完全なものに憧れていたのだろう。


不完全なものにこそ、愛が入り込める隙間があると思う。


不完全を嘆く必要はない、愛が入り込める余地が出来たと思って、ただ、抱きしめよう。


愛で埋まった不完全こそ、最高の完全である。

たぶん。