心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後327日目、久しぶりに青江三奈ベストを聴きながら、曇り空の中、大阪へ向かう、

ということで、快速電車の車中からである。


皆んな新快速に乗り換えるので、快速電車は閑散としている。


快速しか停まらない駅でどんどん乗ってきて、すぐに多くなるとは思うが、コロナの影響がどれくらいあるのだろうか。


とにかく疲れないようにして、水分と栄養を摂ることが大事だろう。


あとは睡眠である。


栄養は料理をまめに作る方ではないので、サプリメントで補いだした。


水分も以前に比べたらとっていると思うが、飲んでも一日一リットルも飲んでいないだろう。


そういえば、昨日初めてとうもろこしをゆがいて半分食べた。


一本198円だったが、高いのか安いのかは分からないが、栄養が有ればいいと思う。


病気にかからないように、色々気をつけたり、トラブルに巻き込まれないように、危ないものには手を出さないようにしたり、もう、人生、守りの体制に入っている。


こんなことで生きている価値があるのだろうか。


スピリチュアルでは、生きている価値が無いと思って、死のうとしている人に、生きているだけで価値があると言って勇気付けることがある。


たぶん、どん底に落ちたものにしか得ることが出来ない輝きもあるのだろう。


そして、その輝きが、今どん底に落ちている人に光を灯すのかもしれない。


それが、存在が人を癒すということなのかもしれない。


そして自分が輝いていることを、人から教えてもらうことで、尚一層、輝きは増すことになる。


だから、人との出会いが、人を生かしたり、殺したりする。


自分を活かす人との出会い、活かしてあげられる人との出会い、生きている限り、可能性は無限にある。


落ちることも、輝くことも、時の流れの中で起こり、そして、過ぎていく。


人生は儚いけれど、儚いからこそ、素晴らしい。


昨日見終わった、屋台バーの女性バーテンダーのドラマで、月下美人の焼酎漬けが綺麗だったが、月下美人の花は一夜しか咲かないらしい。


それに比べて、生きている人間は何度でも咲ける可能性は残されている。


もう一度人生の仕切り直しをするのも悪くないだろう。


と書いたところで、隣に若い女性が座ったが、小さな蛾がまとわりついてきて、すぐに席を移動した。


私にはまとわりつかないので、たぶん私のように女好きな、男の子の蛾だったんだろう。(笑)


まあ、よくあることである。


さて、須磨の海岸までやってきた。


もう海水浴も終わりだろう。


久しぶりに海の家が出たが、賑わったのだろうか。


というところで、隣にまた若い女性が乗ってきた。


では、神戸まで来たので、あと半分の道のりは、物思いにふけることにする。


咲いた花は、自分ではその姿を見ることは出来ないが、人の心を癒すことが出来る。


たまには、他人という鏡を通して、自分の中で咲いている花を眺めるのもいいだろう。


また生きる勇気が出てくるかもしれない。


心の中の花は死ぬまで咲き続ける。