心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後312日目、今日の天気予報は一日中曇りで昼間は雷マークがあるが、晴れている

いつものように折り返し地点の公園のベンチ、汗でびちょびちょである。


昨日もそうだったが、このブログを書き終えて、往路に向かう時には乾いているだろう。


さて、今週末も週末がやってきた。


去年の今頃は、盆休み前のワクワクと、退職前のワクワクで、ダブルワクワクしていたのかもしれない。


ブログも、毎日は書いてなかっただろう。


帰りの通勤電車の中で書いていたと思う。


iPodをイヤホンで聴きながら、電車に乗っていたので、今何を聴いているとか、そんなことを書いていた。


たまたまエルビスプレスリーを聴いていた時に、そのことを書いたら、ムラゴンの社長から気さくにコメントをいただいて、よりこのブログが好きになったことを思い出す。


コミュニケーションとは不思議なものである。


特定の人の気を引きたいなあと思ってアプローチする場合と、ブログのように不特定多数の人達に自分のことを発信する場合がある。


個人的に発信する場合は、発信された側の心を打たなければ、思い通りの反応は返ってこないので、落胆するリスクも多い。


不特定な人に発信する場合は、気に入った人だけが反応するので、両想いになりやすいのであるが、気持ちの深さに差がある場合には、やはりうまくいかない場合も多いだろう。


そんなこんなで、その許容範囲が広い人ほど、交流範囲も広く、仕事に利用すれば、お金にもなるだろう。


特に、今のようにネットを誰でも利用できる時代では、その効果は絶大である。


まあ、私のように人生の半分をネットと無縁で過ごした世代にとっては、生きにくくもあるが、ネットのない時代を生きた価値の方に焦点を当てて、それをもっと活かすのがいいのかもしれない。


まあ、人間は思うほど差はなくて、最終的には同じところに帰って行くと思えば、尚更である。


そういう意味で、もっと、全ての人は、堂々としていてもいいのかもしれない。


そういえば、昔良く読んでいた城山三郎さんの本に、堂々たる人生、といった題名の小説があったように思う。→調べたら、雄気堂々だった。(追記)


もしかしたら、石原裕次郎主演の日活映画だったかもしれない。→調べたら、確かにあった。(追記)


最近は全く城山三郎さんの小説を読んでいない。

城山三郎さんの小説は伝記物がすごくいいのだが、男女の絡みが少ないので、その辺を求めていたのかもしれない。


性的機能が衰えてから、その方に興味を持つというのは皮肉なものであるが、別の捉え方をすれば、身体的に制御がきくので、深みには入りにくいという利点もある。


まあ、今の状況を受け入れて、最大限に活用するしかないだろう。


いつまでも、無いものを求めて努力するほどには、残された人生の時間はない。


今ある機能を最大限に活かして、自分を出していけば、後悔することなく、燃え尽きることが出来るだろう。


そして、あるものに感謝して、追求していけば、今は無いものでも、必要なものは、天が降ろしてくれるだろう。


それを、ただ有り難く、頂戴することにする。


潔い人生、これで行こう。