心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後304日目、今朝は紙のゴミの日だったことを思い出して、急遽段ボールを収集場に持って行った

ということで、ということもでもないが、今朝のウォーキングは中止にした。


段ボールを出しに行った時、すでに暑かったからだ。


昨日のジムでのリトモスでへばったのかもしれない。


リトモスの主な参加者にも、挨拶や、一言二言喋る程度は出来るようになった。


前は常連の人達が開始前に並んで待っている時、グループを作って喋っているのが嫌だったが、人物を知ってしまうと気にならなくなる。


それぞれの個性も見えてきて、いい人と思える人が増えてくるから不思議だ。


そして、こちらがそういう思いで見ていると、それが伝わって、相手もいい波動を返してくれる。


濃縮された人間社会が垣間見れて、面白くなる。


もちろん逆もあるのかもしれないが、こちらが気にしないでいれば、自然に離れていくことも多い。


心の持ち方は肉体に影響を与え、肉体の状態は心に影響を与える。


人間は、なんと素晴らしい芸術作品なんだろうと思う。


神という存在を想定しなければ、到底理解不能である。


そんな芸術作品の中に住んでいながら、全然有り難くも感じなく、当然のように生きている。


まあ、生きていて、苦しいことが多いので、そう思うのもやむを得ない。


死ぬのが怖いから、生きるのが苦しいのかもしれない。


いつ死んでもいいと思えば、生きるのはもっと楽になるのであろうか。


たぶんなるのだろうが、まだまだ生きたいので、苦しみとは仲良くせざるを得ないだろう。


と、開き直ったところで、ようやく光が見えてくる。


全てを受け入れることが、まずはスタート位置に立つ最低条件かもしれない。


そこから、また一つづつ、自分の生命を注ぎ込んでいこう。


今日は、自分の今までの人生を受け入れて、新しい人生をスタートしよう。


人生に光が差した時、全ては輝くだろう。


陰を生きる人生に飽きたら、日向(ひなた)に出て、常に光が降り注がれていることを知ろう。


世の中は変えられないが、自分が変化することで、見える景色も変わるだろう。


生きるのに疲れたら、複雑な人間を、単純に生きてみよう。


そして、恐れるものは何もないと、自分に言い聞かせることにする。