心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後291日目、歩いている時は涼しかったが、ベンチに座ると蒸し暑い、梅雨のような夏の始まり

昨日はお気に入りのカフェでランチした後、そのままジムでヨガと、久しぶりに一日に二つのことをした。(笑)


ジムの予定のない火曜日に行く予定だったが、カフェのオーナーから火曜日は満席に近いのでいつものように静かじゃないのですよ、と言われて、昨日に変えたのだが、その後少し予約も入ったみたいで、申し訳無さそうにされていたので、お店が流行ることはいいことですよ、と言っておいた。


静かな方が好き、とか言った覚えはないのが、その辺の気遣いが凄すぎて、とても嬉しい。


ということで、ますますこのお店のファンになるのである。


気遣いすることはとても難しいことがわかっているので、気遣いされると、その勇気に感動する。


多分、その人にとっては別に勇気を出してやっていることではなく、普通のことなんだとは思うが。


そういう意味でいけば、私にも、自然に気遣いが出来ている人もいると思う。


そして、双方で、自然に気遣いが出来る関係であれば、相思相愛になる。


但し、自分の心はわかりやすいが、相手の心は読みにくい。


片想いと思っていた関係が相思相愛だったり、相思相愛だと思っていた関係が片想いだったりすることは日常茶飯事であろう。


そこで沢山のドラマが生まるのである。


筋書きが単純化するほど、物語は面白くなくなるだろう。


もっとも、第三者的に面白くないのであって、当人としては、人生が複雑になると、悩ましいのかもしれない。


悩ましい人生を面白いと感じるためには、エネルギーが高いことが必要だろう。


もちろん、精神的、肉体的にである。


たくさん考えても、落ち着くところは、自分のポテンシャルである。


自分の精神的肉体的な状況が、自分の思考や行動とマッチする時、生きている喜びが感じられるだろう。


弱まった時は、静かに時を待つのも大事だ。


待てば、明るい、力強い未来が見えてくる時もあるだろう。


弱い時は弱さを、強い時は強さを楽しもう。


楽しみ方に決まりはない。


自分をガチガチに縛っている縄をほどいた時に、一筋の光を見るだろう。


今日は、自分の思考の縄から、解放してあげようと思う。


真実の光を見るために。