退職後283日目、久しぶりに、七夕に晴れたような気がする、夏が戻った、爽やかな朝である。
涼しい風が吹いていて、ベンチに座っていると、すぐに汗が引いた。
途中でため池が太陽の光に輝いていたり、ひまわり畑でひまわりがたくさん咲いていたり、ベンチに座ってからは、飛行機雲が晴天の空に綺麗だったり、といい風景に出会った。
そういえば、昨日はラジオで郷ひろみの誘われてフラメンコという昔のヒット曲を聴いて、懐かしくなって、YouTubeで検索して、昔のとか、今の動画を見ていた。
びっくりである。
最近のは、後ろにノリノリのバックバンドを従えて、ロッカーのように駆け回って、派手なジェスチャーを交えながら、いきいきと歌っていた。
スタイルも維持しているし、顔をツヤツヤしている。
今まで、新御三家の中では、一番人気がなく、遅咲きかもしれないと思っていたが、改めて、昔の映像を見てみると、当時も人気があったようだ。
そういえば、プライムミュージックで、最近、石原裕次郎と、小林旭を聴いていて、石原裕次郎はCDのベスト盤とか何枚か持っていたが、小林旭のベスト盤も結構いいので、またamazonで注文してしまった。
プライムミュージックは無料で聴けるので、得だと思っていたが、気にいると、ちゃんとしたオーディオで聴きたくなって、買ってしまう。
うまく考えたものである。
安く提供していると思わせて、後でその分を回収するという商売である。
本体を安く売って、部品で利益を出すというのは、私の関わっていた会社でもよくあることだった。
それと同じように、お客さんからは、ライフコストを考えるように言われていた。
本体がいくら安くても、それを寿命まで使った時のメンテ代とかを含めたコストを考えなさいということである。
まあ、人間でも同じであろう。
先のことは考えずに、今に投資するのか、一生を考えて、バランスのいい投資をするか、である。
後者の場合には、死ぬ時を何歳に設定するかで、大きく変わってくる。
ある人の書いたものには、平均寿命くらいで設定したらいいと書いてあったが、いくら長く生きても、歳によって、だんだん可能性が狭まるような気がする。
今のうちにしか出来ないことは、今やっておきたいと思うと、これからの人生で一番若い今に全力投球しないと、勿体ないような気がする。
いつ死んでもいいように、毎日毎日を生きる、これが理想的であろう。
ただ、そう考えていると、ある占い師に、急ぎ過ぎている、と言われたことを思い出す。
ゆっくり歩くことでしか見えない風景もあるのである。
映画でいいシーンだけを観ようとして、早送りしても、感動しないように、ゆっくりと道程を楽しみ、味わうことで、感動的なシーンが、より一層感動的になるだろう。
時間がたくさんある今は、やはり、ゆっくり生きる方が、あっているような気がする。
これからは、ゆっくり生きることで見えてくるものを味わってみよう。
ゆっくりは、優しさや、深さに繋がるかもしれない。
そして、通った場所が輝くだろう。
今日は七夕、最後には輝いて、星になるのも悪くはない。
一年待てる気持ちがあれば、新しい自分に出会えるかもしれない。
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