退職後282日目、また暑さが戻ったが、雲が多く、夏の爽やかさにはもうひと頑張り
ということで、今後一週間の天気予報から雨マークが消えた。
昨日はいつものお気に入りのカフェに行って、サンドイッチのランチと、カッサータとエチオピアという珈琲を楽しんだ。
そしてお店に飾ってある、古内一絵さんのマカンマランという本を読み終えた。
最後は涙が出そうになるほど感動した。
続編も何冊か置いてあったので、次も続編を読むことにする。
カフェから帰ってきたら、雲で太陽が隠れていたので、思い切ってシラカシとミモザアカシアの剪定をした。
塀から道路にはみ出している部分を中心に切ったが、上から三分の一くらいは5m以上伸びているので、4m伸びる剪定バサミでも届かない。
まだ、電線まではかなりあるので、そろそろ成長が止まってほしい。
それから、美味しいと勧められていた、マルコメの米糀甘酒をドラッグストアで買って、オレンジのエッセンシャルオイルを入れて飲んだ。
なるほど、神社で月初めに振る舞ってもらう、自家製の甘酒に近い味がして、市販の甘酒の進化を感じた。
やはり、みんな舌が肥えてきているので、質の良いもので、安いものが売れるための必須条件だろう。
但し、安くすればいいというものでもない。
お金を持っている人は、高いものイコール品質がいいと思いがちで、高くした方が売れるということも何かに書いてあった。
贅沢品や化粧品は、田舎では安く、高級住宅街では高く値をつけるという話も聞いたことがある。
ということで、世の中には、嘘と真実が入り混じって、変な欲があると、その罠に引っかかることもある。
まあ、そういう世の中に生まれてきたので、その何でもありの世界で、柔軟に生きていくしかないだろう。
硬く生きると折れてしまうところでも、少しの弾力性があれば、うまくかわしていけるかもしれない。
いい言葉で言えば、それが優しさかもしれない。
だから、優しいということは難しい。
型にとらわれてはいけないからである。
そういえば、私もサラリーマン時代、もっと部下にビシッと言ってとか、違う部門の女性に言われたことがある。
その時は、これが私のやり方だ、と何とか言って、自分のやり方を通した。
と思えば、頑固と言われることもある。
確かに、自分の生き方にこだわるところが、ある意味頑固かもしれない。
前にも書いたが、全てはタイミングで、人の言葉に対して素直に従える時も来るかもしれない。
どんな言葉に出会っても、その言葉を発した人にとっては、それがその人のタイミングだったと思うしかない。
であれば、遠慮なく、こちらにはこちらの事情で、対応をすれば、バランスがとれるだろう。
変に相手に迎合したり、反発することは、バランスが崩れて、相手にとっても、自分にとっても、長い目で見ると、マイナスでしかないだろう。
生きるということは、奥が深い。
たぶん、真実は死ぬ時にしか分からないだろう。
であるとすれば、人の言うことも、自分の思うことも、優しく受け止めて、正しいか、間違っているかという、試験問題を採点する時のような気持ちでなく、自分がどう感じるか、自分がどうしたいかの気持ちを大事にしようと思う。
自分という殻を持って生まれてきたからには、自分を生きることが、結果的に、世の中のバランスに繋がる。
そして、死ぬ時は、自分なしで、世の中が回り出す時だと思おう。
未練なしである。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。