心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後281日目、二日ぶりのウォーキング、雨も止んで、湿気はあるが、時より吹く風が心地よい

ということで、久しぶりに公園のベンチで書いている。


庭の花壇も草ぼうぼうで、抜く気もしなくなった。

今年の一番の収穫はパセリをたくさん植えて、丈夫に育ったことだろう。


タイムも丈夫だが、なかなか食べる機会がない。


カフェではケーキに添えて出てきたが、家でケーキを食べたりすることがないので、使えない。


そういえば、カフェのオーナーに教えてもらった、チャーピルというハーブを買って、庭に植えたが、2、3日目に芋虫というのか、ダンゴムシというのか、ジブリのアニメに出てくるような虫に完璧に食べられてしまった。


あとは去年植えて、無くなったと思っていた薔薇の花が、春くらいだったか、咲いたことのは嬉しかった。


あとはシラカシと月桂樹とミモザアカシアの木が大きくなりすぎて、4m伸びる剪定バサミでも届かなくなったので、届く範囲だけでも、切っておきたい。


が、こう暑くては、やる気も起こらない。


さて、昨夜はZUMBAの疲れか、20時くらいには眠ってしまってた。


夜明け前に見た夢が、慣れない仕事で困っている夢で、起きてから、夢で良かったと思った。


夢にも、夢と分かって見る夢と、全く夢の世界に入り込んで、完全に現実と思う夢がある。


たいていは、いい夢ほど、夢と分かって見ている場合が多く、夢よ覚めないでおくれ、と思ったり、目が覚めても、続きをみようと、また必死に眠ろうとする場合が多い。


まあ、現実も同じかもしれない。


いい状況を維持することは難しく、悪い状況は永遠に続くと思ってしまう。


会社でも同じだった。


相性が合わない上司や部下や部門は、その状況が永遠に続くと思って、絶望的になるが、結局いつかは変わっていった。


我慢比べである。


もちろん、受動態ではなく、もっと自ら能動的的に動ける人もいて、そういう人に憧れていた時期もあったが、今となっては、自分に合った生き方が、自分にとって最善の生き方であると思うようになった。


ただ、自分という基盤をしっかり持てば、そこを基地として、能動的に変化を楽しめるようになるかもしれない。


ルンバという掃除機が、最後は充電する場所に帰ってくるのと同じように、自分であることを認識出来る場所に、定期的に帰ることが、変化を遊べる秘訣かもしれない。


ということで、その基地が自分の家であれば、一番安上がりである。


逆にいえば、そういう充電出来る場所を提供するサービスがこれからは流行っていく、というか、いつの時代でも流行っているのだろう。


ただ、お金をどれだけ、かけられるかによって、その種類が異なってくるので、知り得ない未知の世界はたくさんあるのだろうが、今は色々情報がネット等を通じて入ってくるので、そういう世界の一旦を垣間見ることは出来る。


と言っても、たいていは、男の世界で、お酒と女性と博打ということになる。


飲む打つ買うとはよく言ったものである。


まあ、女性も同じ人間なので、そういう欲求はあると思うが、なかなかおおっぴらに出来ない時代が長かったが、やっと陽の目を見ているような気がする。


まあ、使うお金を縮小することによって、見えて来る世界もある。


自分の世界を大切にしよう。


自分の世界を大切にする人は輝くので、周りの人ともいい関係が築けるだろう。


輝けば、全ては美しくなるだろう。