退職後279日目、梅雨が明けたら、雨が降る、人生のように、思い通りにはいかない(笑)
ということで、自室から、先週、大阪のジャズ喫茶でかかっていて気に入って買った、クリフォードブラウンとマックスローチのアット ベイズンストリートというCDを聴きながら、書いている。
部屋の温度は31.6度、小さな卓上扇風機を机の上に置いて、床にもダイソンの小さめの羽なし扇風機を置いている。
太陽の日差しがないので、何とか耐えられる範囲である。
さて、雨でウォーキングが休みなのもたまにはいい。
そういえば、伊集院静さんのエッセイで、立教大学の野球部だった頃、雨が降ると練習がないので嬉しいとか、雨乞いの為の踊りを先輩がやっていたとか、書いてあったのを思い出した。
練習が嫌いなら辞めたらいいようなものであるが、それとこれとは別なところが、人生というか、人間というか、男のややこしいところである。
男の意地とか、そういうものがある。
西田佐知子さんの歌に女の意地というのがあるので、男女共通のものだろう。
まあ、伊集院静さんの場合は、何かをきっかけに、早々に野球部を辞められるのであるが、きっかけは思いもよらないところからやってくるものである。
これが人生の醍醐味だろう。
もちろんいいことばかりではない。
そういえば、仲井戸チャボ麗一さんの歌に、いいことばかりはありゃしない、という歌があったと思うが、誰でもそうだと思うと安心する。
皆んな、同じようなことで悩み、外観は何もないように、仮面をかぶって生きている。
でも、その仮面に息苦しくなって、外したい衝動に駆られる時がある。
マスク生活でもそうだろう。
マスクが仮面の代わりで、自分を隠すのにはちょうどいいのかもしれない。
でも、本当の自分を長いこと出さないままでいると、本当の自分が何者だったか、わからなくなって、どんどん嘘の自分が勢力を増してくる。
そうなれば、もう手の施しようがなくなる。
荒治療が必要になり、何らかの犠牲が払われる。
それは、家族だったり、今までに関わりのある人だったり、全く知らない人だったり、である。
もちろん、ある部分では誰かに犠牲を強いらせ、また、ある部分では、犠牲になっているのかもしれない。
まあ、簡単に言えば、お互い様であるが、出来るだけ、自分の取り分が多い方が、人生得したと感じるのが、人間の業であろうか。
そういう変な欲が出た時は、神様から、容赦なく、イエローカードが出される。
神様からの愛の鞭である。
ただ、イエローカードが出されても、まだ元気があれば、そんなもの目もくれずに、意地を突き通す場合もある。
そういう時には、絶望感が与えられ、もう自力では、何もできないようにする。
その場に及んで、やっと真実が見えてくるのだろう。
長い道のりである。
そんなに複雑に人生を作った神様に小言も言いたくなるが、まあいいこともそれなりにあったので、今世では、この複雑な運命に白旗をあげて、楽しんでいこう。
とか、最後は、やっぱり、強がりを言って、終わりにしようとする、見栄っ張りの自分がいる。
強がらない生き方の方がずっと楽なような気もする。
まあ、呼吸のようなものかもしれない。
吸ってばかりだと息が詰まるし、吐いてばかりだと、苦しくなる。
ヨガの先生が、だんだん吐く息が長くなるように、とおっしゃっていたが、吐くことは、力を抜くことに繋がるのかもしれない。
吸うことに意識を向けるより、吐くことに意識を向ければ、自動的に吸えるだろう。
吐き切れば、自動的に、必要なものが入ってくる。
今日も自分の力を抜いて、神の力で生きよう。
究極の省エネかもしれない。(笑)
↓ 一枚目は今朝の窓の外
二、三枚目は、昨夜の夕焼け
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