退職後278日目、猛暑の中、大阪へ快速電車で向かう
昨夜、天気予報サイトの地元と大阪を覗くと、なんと最高気温が5度も違っていた。
昨日の大阪の最高気温は38度であった。
今日は35度に下がるので、まあほっと一息であるが、朝から太陽が容赦なく照りつけている。
昨日注文していた1974年の青春歌年鑑が届いたので、早速iPodに入れて、今聴いている。
今、渡哲也のくちなしの花がかかっている。
1974年といえば、私が高校3年生の時である。
高校には、いつも1時間目とか2時間目の途中から、遅刻して、そっと教室に入っていた。(笑)
ということで、全然、授業についていけなくて、全く面白くなかった。
おまけに、理系だったので、男女共学にもかかわらず、2、3年は男子ばかりのクラスだった。
ということで、高校時代の高校でのいい思い出は殆どない。
しいて言えば、学園祭に片想いの女子高生を呼んだことぐらいである。
講堂での軽音楽部の演奏では、井上陽水の傘がないのコピーとか、クリーデンスクリアウォーターリバイバルの雨を見たかいのコピーをやっていたことを思い出す。
高校2年の時は逆に彼女の女子校の学園祭に行って、彼女が色々案内してくれた。
クリスチャンの高校だったので、学校に教会があって、そこで、演劇部がシェークスピアのリア王をやっていた。
その頃はリア王とか知らなくて、どういう話か彼女に聞いたと思うが、そんなことはどうでもいいことで、隣の彼女のことで胸をときめかせていた。
それから、水前寺清子さんの真実一路のマーチに合わせて、ミニスカートをはいた女子学生が踊るプログラムがあったが、その頃は歌謡曲を歌う歌手の後ろで、スクールメイツとかがミニスカートで踊るのが流行っていて、彼女が照れ臭そうに、先生がこんなん好きやん、と弁解していたことを思い出す。
そのことがあって、水前寺清子さんの全曲集とかもたまに聴いて、その場面を思い出している。
また昔の思い出を長々と書いてしまった。
車窓には明石海峡大橋と青い海が見えている。
すっかり、夏の海の色に変わっている。
そういえば、7月に入ったので、今年は海の家は営業するのだろうか。
もうすぐ須磨の海水浴場なので、海開きをしてるとすれば、今日かもしれない。
駅前の一軒は準備していたが、それ以外はやってる感じはなかった。
今年もまた自粛なのだろうか。
そういえば、昨日のラジオで、コロナの次のバージョンが流行り出したと言っていたが、その影響かもしれない。
勤めていた会社の前を通り過ぎた。
一切電気はついてなかったので、土曜日で皆んな休んでいるのだろう。
さて、神戸まで来て、iPodのCDもdisc1が終わったので、そろそろ今日のブログも終わりにしよう。
というところで、当時好きだったアグネスチャンのポケットいっぱいの秘密がかかっている。
ちょっと前に読んだ、松本隆さんの本で、はっぴいえんどのドラマーから、歌謡曲の作詞家になった最初の頃の作品と書いてあった。
前にも松本隆さんについては書いたが、ちょっとしたきっかけで、ドラマーが、たくさんのヒット曲を生み出した人気作詞家に変わった。
きっかけはいつ天から降ってくるかもしれない。
体調を整えて、今日やるべきことを、楽しんでやって行こう。
神はちゃんと見ていてくれていると、思いたい。
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