退職後237日目、快晴の日曜日、程よい暖かさで、陸上競技場では中学生の記録会が開かれようとしている。
ということで、サブグラウンドでは、準備運動をしたり、体育座りで、開始を待っている。
中学生の大会の時は、競技場の周りが自家用車で一杯になる。
みんな立派な車が多い。
子供としては、友達に見られても恥ずかしくないように、いい車で来たいのであろう。
私が中学生の頃はバスケットボール部だったが、中学校に集まって、みんなで西鉄バスで田舎の体育館のある中学とか高校に行っていた。
親なんか誰も見に来てはいなかった。
まあ、時代の流れを感じる。
要するに、子供のことを構っていられる家庭なんか無かったのだろう。
その日、その日の生活で精一杯である。
そんな親を見て育ったので、余裕のある生活を夢みていた。
サラリーマンになったら、休みも沢山あっていいだろうと思っていた。
子供は親離れするまでは、親を見て育つので、生まれた環境は大きい。
もちろん、物心ついた時には、すでに親の無い子もいる。
中学生を見ていると、つい、そんなことを考えて、悩んでしまう。
世の中を知れば知るほど、悩みは大きくなる。
もちろん、余裕があるから悩んでいるんであって、余裕がなかったら、悩む暇もないだろう。
悩めたり、愚痴を言ったり出来るのは、幸せなことかもしれない。
幸せだったら、幸せらしく、楽しく過ごそう。
幸せは、周りに、一杯溢れているが、ただ気づいていないだけ、幸せを通り越して、幸せの先を見ないで、焦点をもっと近くに移そう。
ラジオの周波数があった時に、声が聞こえるように、幸せに焦点があった時、幸せの気が流れてくる。
無いものねだり、とか、隣の芝生とかいう言葉もあるが、そろそろ、視点を未来から今へ、遠くの不安から今の幸せへ、移していこう。
手を伸ばせば届くところにあるのが、本当の幸せかもしれない。
手を伸ばせば、そこに幸せがある。
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