退職後226日目、雨がしとしと降る水曜日、デフューザーからはクラリセージとグレープフルーツの香りが心にしみる。
最近何年振りかに昔買っていたディフユーザーを使い出した。
寝室で使っていたが、寝る時音がうるさく感じて、使うのをやめていたが、新しいアロマを使い出したので、自室で再び使っている。
最初はうまく作動しなかったが、2〜3日使っていたら、やっと調子が出てきた。
そういえば、スピーカーも何年も使っていないと、カビが生えて、コーンが破れたりして、使い物にならなくなったことがあった。
人間の機能もそうだろう。
少しずつでも使い続けることで、機能を維持出来るのかもしれない。
そういえば、あるヒーラーのメルマガに書いてあったが、毎日何かを続けている人からはオーラが輝いているらしい。
だから、その人は歌舞伎を観に行くと書いていた。
なるほど、オーラを見に行くのか、わからないでもない。
そういえば、昨日プライムビデオである映画を観たが(題名を覚えていない)、あるテレビのリポーターが出世する話であるが、オーラがあると、常識的には失敗をしても、トップには認められて、上がっていくという話である。
ただ、認める目を持った人がいなければ、その人は、ただの常識はずれの人でしかなかったはずである。
認めてくれる人との出会いが、運命の分かれ道になる。
そう考えると、なかなか人生はスリルに満ちたものであるが、全ては、自分の魂が、生まれる前に選択していると考えると、諦めがつく。(笑)
諦めると、全てをありがたく感じる。
諦めるということは、欲を捨てることである。
全てを諦めると、今あるものが輝き出す。
今日は、今あるものの輝きの中で、生きてみよう。
あるものは、いつか無くなるだろう。
そして、無いものが、いつか手に入るかもしれない。
今日は、そのどちらでもない今日である。
だから、尊い、そして、愛おしい。
今日だけであれば、なんとか愛に溢れて、生きれそうだ。
今日だけなら・・・
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