退職後215日目、連休2日目、陸上競技場では中高校生くらいの若者の競技会が開催されようとしている、いい天気である。
ということで、今朝は肌寒いが、爽やかに晴れて、まさに、競技会日和、そして、サラリーマンであれば、連休が始まったばかりの土曜日、一番ワクワクする頃である。
そんな時に、何の予定もなく、公園のベンチで日に当たりながら、ブログを書く幸せを感じている。
聞こえるのは、若者の弾む声と、ウォーミングアップに励む足音である。
本番の数秒、数分に備えて、準備している。
人生もそうだろう。
生まれて来る前に、入念に計画を練って、考え尽くされた脚本を魂に託して、生まれてきたはずである。
詩が好きな人が描いた人生は、詩的だろうし、小説好きは、物語風な人生を生きるだろう。
たぶん、現世では、悲しいことや、残酷なことさえも、その時は、頭で描いた脚本の題材でしか過ぎなかっただろう。
現世では、こんなにも人を悲しませるとは、夢にも思わなかったかもしれない。
もちろん、嬉しいことや、楽しいこと、そして感動することについても、こんなにも人の心を動かすとは思わなかっただろう。
まさに、現実は小説よりも奇なり、と言われることの証明である。
この人間にとって、がんじがらめの脚本のなかで、自分で考えて、行動出来ると思える時もある。
そういう時は、人間の可能性は無限と思い、胸に希望を抱く。
そんな時、そんなシナリオを考えてくれた先人に感謝したくなる。
どっちにしても、人生のシナリオにびくびくするのは止めよう。
死んだ時に、自分の魂に、ちょっと複雑だったけど、描いた通りの素晴らしい人生だったと言われるのだったら、シナリオのことは忘れて、自分勝手にわがままな人生を歩んでみよう。
それくらい思っていても、たぶん、私は、私の道からはみ出すことはないだろう。
そうであれば、のびのびと、心の向くままに、素直に、この先の人生を生きるしかない。
と、今日の結論が出たところで(笑)、今日何をするか考えながら、復路をスタートする。
大いなるものが、微笑みながら、見守ってくれているのを信じて。
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