退職後204日目、やっと春の気候が続いている、今日の昼ごはんはケンタッキーフライド鳥にしよう(笑)
どなたかのブログにフライドチキンのことが書いてあったので、久しぶりに食べて見る気になった。
初めて食べたのは、19歳の頃で、西鉄電車で福岡で降りて、天神商店街を通って、渡辺通りを渡って、予備校に通っていたが、その途中にある店だった。
なんと美味しい鳥なんだろうと思ったが、だんだんと美味しく感じなくなって、最近は食べてなかったが、どなたかのブログで鳥肉のタンパク質がいいと聞いたので、もう一度チャレンジすることにした。
まあ、音楽でも本でもそうだが、前聴いたり、読んだりした時はいいと感じなかったものでも、時が経てば、いいと思える時がある。
まあ、人もそうだろう。
自分としては深く考えて付き合っていなかった人でも、相手にとっては、すごく癒しや、生きる希望を与えていたことがある。
もちろん、逆もある。
相手にとっては自分という存在は特別でなくても、自分にとっては特別の意味がある場合がある。
人間関係においては、相思相愛を求めがちであるが、大概は循環愛なんだろう。
まあ、断片だけを見れば、片想いとも言えるが、俯瞰して見ると、循環していることが多い。
風が吹けば桶屋が儲かる、の例えではないが、与える相手と貰う相手は違うようだ。
与えた相手から、貰うのを期待するのはやめよう。
上記の法則が正しいとすれば、たぶん報われないだろう。
そのかわり、ちゃんと、他のことや人から、戻ってくるようになっている、と考えてみよう。
世の中の全ての人やものが愛おしくなる。
自分が考えているより、もっと大きな単位で、宇宙の帳尻はあっているみたいである。
今日は空を見上げて、宇宙の教えを受けとめよう。
愛は宇宙のように循環している。
愛を引き止めて、独り占めにしようとすると、苦しくなる。
愛は出たり、入ったりが、心地よい。
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