心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後202日目、今日も陸上競技場では陸上競技の記録会が開かれる、ウォーミングアップする若者を見ていると、

色々考える。


ただ走るということを追求している。


単純そうに見えるが、たぶん奥が深いのだろう。


まあ、生きることもそうだろう。


栄養のある食べ物を食べて、適度な運動をして、適度に睡眠をとれば、まあ、健康に生きていられるだろう。


健康に生きている限りは、その意味を深く考えていない。


余命何年とかになって、初めて、生きる意味を考えるのだろうか。


死ぬ地点が決まっているとすれば、毎日死に近づいているということである。


ということで、歳をとると、だんだん生きる意味を考えるようになるのか。


もし、最後まで答えが見つからなかったとしたら、探すことは無駄な行為である。


というか、人間が生きていること自体、どうでもいいことかもしれない。


たまたま生まれてきて、たまたま死んでいく。


深く考えるほどのことでは、無いかもしれない。

そう思えば、もっと気楽に生きられる。


今、こうやって、ブログが書けること自体、すごく幸せなことかもしれない。


幸せなのに、色々考えて、もっと幸せを目指そうとする。


いや、求めているのは、幸せというよう穏やかなものではなく、感動とか、刺激とか、快感とか、もっと激しいものかもしれない。


どうも、人間は、穏やかだけでは生きられない動物のようだ。


都会暮らしから、田舎の穏やかな暮らしを求めて移住しても、時々刺激を求めて、都会に出たがるのはそのせいだろうか。


なるほど、人間とは刺激と穏やかさの二つが必要なようだ。


ジムでいえば、ヨガが穏やかさで、ZUMBAやリトモスが刺激だったり、快感だったりである。


もちろん、男女の関係だって、いや、人間関係だって同じだろう。


心を穏やかにするための人間関係と、刺激しあう人間関係が必要なようだ。


簡単に言うと、バランスである。


もっとも、人間には両方の部分があるので、一人と深く付き合えば、両方の感情を満たされるかもしれない。


さて、今日のジムはヨガ、明日はZUMBA、穏やかさと、激しさで、体を満足させよう。


心については、また別物なので、ゆっくり考えることにする。(笑)


今日は、食べ物や運動や睡眠以外に、生きるために必要なものを味わおう。


きっと、生きている満足感が増して、余計なことを考えなくて良くなるだろう。


生きることは単純なことだ。


生きる意味を難しく考えなければ、もっと楽に生きられるかもしれない。