退職後202日目、今日も陸上競技場では陸上競技の記録会が開かれる、ウォーミングアップする若者を見ていると、
色々考える。
ただ走るということを追求している。
単純そうに見えるが、たぶん奥が深いのだろう。
まあ、生きることもそうだろう。
栄養のある食べ物を食べて、適度な運動をして、適度に睡眠をとれば、まあ、健康に生きていられるだろう。
健康に生きている限りは、その意味を深く考えていない。
余命何年とかになって、初めて、生きる意味を考えるのだろうか。
死ぬ地点が決まっているとすれば、毎日死に近づいているということである。
ということで、歳をとると、だんだん生きる意味を考えるようになるのか。
もし、最後まで答えが見つからなかったとしたら、探すことは無駄な行為である。
というか、人間が生きていること自体、どうでもいいことかもしれない。
たまたま生まれてきて、たまたま死んでいく。
深く考えるほどのことでは、無いかもしれない。
そう思えば、もっと気楽に生きられる。
今、こうやって、ブログが書けること自体、すごく幸せなことかもしれない。
幸せなのに、色々考えて、もっと幸せを目指そうとする。
いや、求めているのは、幸せというよう穏やかなものではなく、感動とか、刺激とか、快感とか、もっと激しいものかもしれない。
どうも、人間は、穏やかだけでは生きられない動物のようだ。
都会暮らしから、田舎の穏やかな暮らしを求めて移住しても、時々刺激を求めて、都会に出たがるのはそのせいだろうか。
なるほど、人間とは刺激と穏やかさの二つが必要なようだ。
ジムでいえば、ヨガが穏やかさで、ZUMBAやリトモスが刺激だったり、快感だったりである。
もちろん、男女の関係だって、いや、人間関係だって同じだろう。
心を穏やかにするための人間関係と、刺激しあう人間関係が必要なようだ。
簡単に言うと、バランスである。
もっとも、人間には両方の部分があるので、一人と深く付き合えば、両方の感情を満たされるかもしれない。
さて、今日のジムはヨガ、明日はZUMBA、穏やかさと、激しさで、体を満足させよう。
心については、また別物なので、ゆっくり考えることにする。(笑)
今日は、食べ物や運動や睡眠以外に、生きるために必要なものを味わおう。
きっと、生きている満足感が増して、余計なことを考えなくて良くなるだろう。
生きることは単純なことだ。
生きる意味を難しく考えなければ、もっと楽に生きられるかもしれない。
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