心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後201日目、良く晴れた爽やかな土曜日の朝、ウォーキング折り返し地点の陸上競技場では高校生の大会が行われている。元気をもらおう。

風が冷たいので、毛糸の帽子と手袋をしてきた。

4月中旬では、まだまだ、こういう日もある。


さて、今日は何も予定のない土曜日。


昨日の夜から、何をしようかと、思いを巡らせていたが、思いつかないまま、現在に至っている。(笑)


サラリーマン時代だったら、まずは街に出て行って、それから考えたりしていた。


たいていは、感じのいいお店でお茶したり、占い屋さんで色々話したり、マッサージ屋さんに行ったり、馴染みの服屋さんの女性店員とお話しして、勧められるままに高い服を買ったりしていた。


まあ、お金がかかることばかりである。


今はお金をかけずに、楽しもうとしているので、ハードルが高くなった。


退職するまでは、家の片付けをしたり、庭の手入れをしようとか、色々考えていたが、やはりせっかく自由になったので、もっと楽しいことに使いたいと思って、あまり家のことは出来ていない。


まあ、定着した習慣は、朝のウォーキング、その途中で綴るブログ、ジムでのZUMBAとリトモスとヨガ、夜、音楽を聴きながら、ウイスキーのソーダ割りを飲みながら、図書館で借りてきた本を読むことである。


欲を言えば、もう一つ柱になる習慣が欲しいものである。


出来れば、人と話す機会があった方がいい。


もっと欲を言えば、その中には女性が含まれていた方が望ましい。(笑)


もちろん、相手が喜んでくれることが大事である。


望みというものは、突然、思いがけないところから叶ったりするものである。


必死に追いかけている時は、全く叶わなかったものが、諦めた瞬間に叶うこともある。


井上陽水の歌を思い出すが、力を入れた後に、ふと力を抜くことがコツのようである。


世の中は不思議なパズルである。


今日という日は私の人生のどの部分であろうか。

どの一コマが抜けても、私の人生は完成しないだろう。


そんな大事な人生の一コマを神に任せるのはもったいないが、手に負えなくなった人生は、神に託すのも一つの手だろう。


神様は人間を助けたくて仕方ないのかもしれない。


人間は地球上で最高に優秀と思って、神の助けを求めたくないので、なかなか神様の出番がないみたいである。


ということで、今日一日だけ、神様に任せて、過ごしてみよう。


まあ、一日だけだったら、取り返すことはできるだろう。


まあ、運が良ければ、神様は案外いい奴で、いいことが起こるかもしれない。


と、今日も、調子の良いことを妄想してしまった。


妄想は心の掃除かもしれない。


何故か、心が晴れる。