心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後190日目、あちこちで桜が咲いている、世の中は新年度や新学期で、桜の木の前で記念撮影、そういう時代もあったっけ(笑)

今朝も寒い朝で、冬仕様の服装でウォーキングの途中休憩中である。


昨日はウォーキングをやめて、ジムのZUMBAも行くとまた体調が悪くなるかもしれないと、迷ったが、思い切って行った。


定員2名オーバーで、抽選になり、先週のリトモスに続いて外れて、すぐに帰って、庭の草取りとかして、早めに休んだ。


抽選から外れた時は、また色々な人から慰めの言葉をかけられた。


抽選に外れることによって、だんだんとジムに知り合いが増えている感じで、悪くはない。


昨日のブログにも書いたかもしれないが、望んで外れているわけではないが、外れることによって得られるものがある。


セントジェームス精神病院に書かれていた作者不明の有名な詩を思い出す。


神は、望んだことは何も叶えてくれなかったけど、それ以上の喜びを与えてくれた、とそんな感じの詩だったと思う。


顕在意識で望むことと、魂が望んでいることが違う場合、神は望むことを何も叶えてくれないと思って、絶望するが、実は望むこととは違う形で、それ以上のことを与えてくれていると、いう意味である。


まあ、全てのことには意味がある、とも置き換えられる。


生きていて、ほとんどいい日はないと思っていても、ちゃんとその日、その日に意味があるのかもしれない。


人生は壮大なドラマである。


どの1ページが抜けても、面白くない。


さて、今日は、今日の1ページに集中して、生きてみよう。


きっと1日が終わった時、いや一年が終わった時、はたまた人生の終わりの時に、きっとその意味が理解出来て、ちゃんと生きてきて良かったと思うだろう。


どんな人生も、取りとめはないが、きっと素晴らしい物語である。


人生は今日も輝いている。