退職後184日目、曇り空、無風の穏やかな水曜日の朝、フランシーヌの場合はで始まる歌が流れていて、涙する
3月30日で思い出すのは、まだ子供の頃に流行ったフランシーヌの場合は、で始まるあの歌である。
その歌にまつわる出来事を知ったのはつい最近のことで、それからこの歌を聴くと、とてもいたたまれなく、悲しくなる。
そういえば、大学受験の時に京都の旅館で受験生パックというので、5〜6人で同じ部屋に泊まったことがあった。
その中で姫路から来ていた人が、試験日の前日の夜にシアンクレールというジャズ喫茶に行こうと言い出して、4人くらいで出掛けた。
路面電車に乗って、荒神口とかいうところで降りて、すぐのところだった。
その彼が言うには、当時ベストセラーになっていた、二十歳の原点という、高野悦子さんの日記を読んで、彼女がよく行っていたそのお店に行ってみたかった、ということだった。
その頃の私は読書の習慣もなかったが、受験から帰って、すぐに近くの本屋さんに行って、その本とそれのシリーズの本を買って、夢中になって読んだ。
女性の日記を読むことがとても恥ずかしかったので、親に見つからないように、カバーをして引き出しの中にしまっていた。
今も本棚の奥の方に、その時のカバーをかけたまま、置いてある。
私も5、6年前から3年日記帳とか、5年日記帳に数行の日記をつけているが、死んだ後に誰かに見られると思うと、書くのに抵抗があることは無理には書いていない。
たぶん書けないことの中に、真実があるのかもしれない。
伊集院静さんの小説にも書いてあったが、誰にも言わずに、墓場まで持っていく言葉が誰にもあるらしい。
また、昔読んでいた致知という月刊誌には、歳をとってくるにつれて、秘密の部分は少なくしていった方がいいとも書いてあったことを思い出す。
逆に言えば、人に隠さないといけないようなことはするな、ということである。
わからないでもないが、まだまだ聖人君子のように生きることには抵抗がある。
やはり、世間一般のいい人になるより、自分が納得する自分を目指していきたい。
さて、今日も自分らしく過ごすことに、全力と投球しよう。
そして、死ぬ時は、思い切り、自分色に染まっていたい。
今日はその第一歩である。
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