心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後159日目、よく晴れた土曜日の午後、隣の陸上競技場ではたくさんの学生で賑わっている、みんな何かを目指して頑張っているのだろう

人がたくさんいると、人の雰囲気が押し寄せてきて、押し潰されそうになるので、壁を作って、その風をブロックしなければならない。


そうすると、自分自身の中で、エネルギーを発電して、生きているという実感が湧く。


自然との触れ合いで得られるエネルギーと、人間との触れ合いの中で発生するエネルギーでは、異質のものであるようだ。


自然の中にで生まれるエネルギーは純粋無垢である反面、面白みには欠けるところがある。


一方、人間との摩擦の中で生まれるエネルギーは、人間の色んな感情が渦巻いていて、気持ちが充実してないと、疲れてしまう。


摩擦によって熱が発生するように、体力と気持ちが充実していたら、人間の中で、それらを燃焼させて、爽快感を味わえるかもしれない。


陸上競技場で、ただひたすら、走っている若者たちも、湧き上がるエネルギーをひたすら燃焼させているのだろう。


ただ何にでも加減が必要で、やり過ぎは良くない。


可能性は無限とか言って、際限無く可能性を追求するやり方もあるが、ある限度を超えると毀れてしまう。(毀(こわ)れてしまう、という漢字は知らなかったが、今読んでいる北方謙三さんの小説に出てくるので、使ってみた。(笑))


その微妙なさじ加減を人生で、無意識のうちに行っているのだろう。


そして、そのバランスが崩れると、バランスを取る為、休養したり、動いたりする必要が出てくる。


そして、それがなかなか難しいのである。


人間は機械ではないので、感情によって、休養し過ぎたり、動き過ぎたりするからである。


ということで、人間として生まれたからには、こういう行き過ぎた行為を繰り返しながら、生きていくようである。


時々休んで、今、自分がどういう状態にいるのか、確かめてみるのもいいだろう。


まあ、スピリチュアル的には、体の叫びを聴く、魂に聞くということになるだろう。


そういう意味で、今習慣にしている、瞑想やヨガは最適かもしれない。


少し頭を使い過ぎたので、ウォーキングの復路で、体を苛めてみることにする。