退職後129日目、曇り空の公園に佇んでいると、少し気も落ち着く、自然が気持ちを癒してくれる
今日はビンの収集日だったので、朝収集場所に持って行ったが、5分遅れただけなのに、もう回収済みだった。
まあ来月もあるので、そう気落ちすることはないのだが、自分でもびっくりするくらい落ち込んでしまった。(笑)
ウォーキング中のラジオは、1972年に流行った洋楽と邦楽の特集をしていて、懐かしく聴いていた。
1972年といえば、私が高校一年の時で、髪を長髪にして、色気付いてきた頃である。(笑)
因みに、中学は校則で男子は全員坊主頭だった。
それからずっと片想いの女性に、図書館で出会ったのも1972年の夏休みだった。
もう50年も前のことになる。
働き出してからの41年に比べて、中学、高校の6年は一年一年が心の奥に刻まれているようだ。
特にその頃は洋楽も邦楽もシングル盤のヒット曲が沢山あって、450円くらいのEP盤もたまに買っていた。
シルビーバルタンのあなたのとりこ、とか、マイクネスミスのシルバームーン、とか、覚えている。
その頃の自分は、どんな未来を想像していただろうか。
たぶん、全く将来のことは考えずに、早く家を出て、親から解放されて、自由になりたいと思っていたと思う。
それが実現したのは、19歳の時からだったが、物理的には親から離れていても、親のすねをかじっていたにすぎなかった。
それから、自分の狭い人生が少しづつ広がって、世間を知ることによって、だんだん謙虚になって、色々なことに気を使いすぎるようになって、また自分を自分で束縛し出した。
私の辞書には、自由という言葉は存在しないのではないか、と思うようになった。
ものは知りすぎても生きにくいし、知らないともっと生きにくい。
知っていて、知らぬふりも出来ないし、生きるということは、難しいものかもしれない。
難しいものだったら、生きるのに悩んだり、疲れたりするのは当然のことで、恥ずかしいことではない。
ということで、人間に生まれた宿命を、今日も、体全体で受け止めて、楽しんでやろう、そして、から元気でもいいので、元気に過ごそう。
と思う。
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