退職後125日目、久しぶりに朝からパソコンを開いていた、ブエノスアイレスのマリアという小歌劇のダイジェスト版よかった
平和な日曜日である。
ウォーキング中の街路樹の蕾が春の予感を感じさせる。
そろそろ色々な自然が春の準備をしているみたいである。
私の中の蕾はいつ開くのであろうか。
まあ、時々、水をあげてやっていたら、突然出窓のサボテンの花のように咲くかもしれない。
そういえば、朝観た、柴田奈穂さんが主宰したブエノスアイレスのマリアという小歌劇であるが、ダイジェスト版を観たが、とてもよかった。
インターネットの番組の中で、柴田奈穂さんが、タンゴを始めたきっかけを語られていたが、ヨーヨーマのリベルタンゴがCMで流行ったことがあって、それを聴いて、ハマっていったとおっしゃっていたので、私の棚に眠っていた、ヨーヨーマのリベルタンゴのCDを取り出してきて、また後で聴こうと思う。
何かのきっかけで、また聴こうと思ったり、読もうと思ったりすることがある。
当時いいと思わなかったものでも、今聴いたり、読んだりすると、いいと思うこともあるし、響かないこともある。
人間の感情は生き物である。
当然、人間同士の感情も、時の流れの中で移り変わっていく。
いつまでも固定された人間関係の中で過ごそうと思うと、歪みが出てくるかもしれない。
そこを無理して我慢していると、病気になってしまうかもしれない。
そういえば、昨日早く寝過ぎて、眠れなかったので、FMラジオをつけたが、中野真弓という方が、愛のコーヒーカップという話をされていた。
簡単に言うと、自分のコーヒーカップに珈琲を満たして、いっぱいになって、それでも注ぎ続けていると、見えないパイプから、周りの人達に珈琲が注がれるという、話である。
つまり、自分を満たす事だけを考えていれば、勝手に周りの人達が幸せになっていくという理論である。
これはとても実践しやすい。
人のためを考えると、何が人にとっていいのかで悩んでしまって、その悩む姿が人を悩ませることがある。
本末転倒である。
ということで、今日は自分のコーヒーカップを満たすことに注力してみようと思う。
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