心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後732日目、今日もいいお天気、9月最終日、快速で

東に向かっている。


昨日は寝る前にある人のインスタで中秋の名月の写真をあげられていたので、思い出して、外を見たら、雲一つ無い空にまんまるのお月様が輝いていた。


一応写真を撮ってから寝たが、そういえば去年スピリチュアルの講座を受けていた時は、満月の下で瞑想をして、その時に浮かんだことを先生に伝えたりしていた。


それがあまりにも長くて頭で考えたような文章だったので、それは降りてきたものではないと指摘されたりした。


懐かしい思い出である。


今でも時々その時の先生たちのインスタ投稿を見るが、スピリチュアル的な生き方を継続することは、素直にとても大変だなぁと思うのである。


お金はかかったが、スピリチュアルを突き詰めようという思いに終止符を打てたのは良かったと思うことにしよう。


まあ、スピリチュアルを学問的に体系化して教えること自体に無理があるようだ。


あくまでも日常生活生の中で断片的に伝えていくもののような気がする。


とか、スピリチュアルを語ってしまうところは、まだまだ未練があるのかもしれない。(笑)


昨日は新しく橘玲さんの80'sという本を借りて読み出した。


ある本で橘玲さんのスピリチュアルズという本が紹介されていて借りようと思ったが、貸出中だったので、とりあえず借りた本である。


誤算だったのは橘玲さんが男だったこと(笑)で、良かったのは、同年代(三つ下)の人で、時代背景がよくわかることだった。


1980年代の日本や世界での出来事を踏まえながら、その時の著者の状況を淡々と語ったもので、共感するところがかなりあって、単純に面白い。


そういえば、50年代と言えば1950年代、60年代と言えば1960年代のことだが、2010年代のことは10年代とは言わないだろう。


たぶん、2100年ごろになると、そういう言い方を普通にしているかもしれない。


手塚治虫さんの火の鳥のように地球の歴史を見届けられたら面白いだろう。


と言いながら、生きている間だけでも面白く暮らしたいというのが正直なところだろう。


人間は神様にはなれないようだ。(笑)


最後は人間らしくで、全てを片付けてしまう悲しい生き物のようだ。


だからこそ、神様にとって、愛おしい存在なのである。たぶん。