心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後534日目、昨日と打って変わって、爽やかに晴れた朝を迎えて

今日も快速で大阪に向かっている。


今日はまずはお気に入りのジャズ喫茶に行く予定で、お気に入りのスピーカーの前の特等席に座るために開店に間に合うように行く。


この前のスピリチュアル講座では、起こることはどんなことでも最善である、と言われた。


こんな一文で全てを取りまとめられると、言い返しようがない。


問答無用である。


だが、響く時は響くものである。


色々なことが重なってバタバタしている時は夢中でやっていて集中出来るが、落ち着いて平和な暮らしになると、物足りなくなる。


そして、その状況状況に応じた言葉に響くようになる。


感動する言葉にも賞味期限があって、状況が変わると効き目が無くなる。


そうやって言葉も食べ物と同じように消費してきた。


ただ、言葉は物と違って、自分で生み出す事ができる。


もちろん、読んだ本や経験に基づいて生まれるのだから、正確にはインプットは必要ではあるが・・・


ということで、体の中に溜め込んで、いずれ消滅させるくらいなら、出すに限るだろう。


そして、どうせ出すのであれば、何らから人の役に立てたらいい。


欲を言えば、それで稼げるのであれば、もっといい。


と、結局はどんどん欲が出てきて、人間臭くなっていく。


と、すぐに欲は良くないものだと決めつけている自分がいる。


欲があるから今まで人間は生き延びてきたというのに、自分だけは神様と思っているのだろうか。


そう考えると、人間はとても柔軟性に富んでいるようである。


今が全てと思うのはやめよう。


無いものが出てくることもあるし、あるものが無くなることもあるだろう。


思考は実現するというが、実現することもあるし、思考しなくても実現することだってある。


深く考えない方が良さそうである。


色々考えて、結局は考えない方がいいという結論に落ち着いた。


まあ、人生は螺旋階段のようなものである。


同じところに戻って来たとしても、前の場所より高い所に来ているのである。


何周廻れば終点になるのだろうか。


まあ、それが分からないから人生は面白い。


ということで、そろそろ思考の時間は終わりにしよう。


思考と書いたが、感覚で書いているのかもしれない。


また、魂に一歩近づいた。