退職後445日目、今日は雨の一日、お気に入りのカフェで読書をして、泣く。
ということで、お気に入りのカフェで、キッシュランチを食べて、デザートにタンザニアの珈琲とパウンドケーキを食べた。
今日は町田そのこさんのぎょらんという小説の第二章を読んだ。
これがまた涙腺緩みっぱなしで、困った。
外に向かって座っているので、誰にも顔は見られないが、鼻をすする音が静かな店内に響くのである。
帰る時に一応、この小説泣ける、と言い訳しておいた。(笑)
小説というのは自分の経験を脚色して物語にする場合と、全くの空想の物語とあると思うがどちらなのだろうか。
経験に基づいたものであって欲しいと願う。
そうでなければ、何か上手く騙されたようで悔しい。(笑)
ただ、空想だとしても、そういう物語が創りだせるということは、今世でなくとも、過去世、いや来年かもしれないが、経験した、あるいは、経験することかもしれない。
そう考えると、アウトプットし続けると、来世も過去世も経験出来るということになる。
インプットはアウトプットするための刺激とか触媒、分かりやすく言えば、きっかけみたいな物だろう。
インプットによって、自分の奥深くに潜んでいる過去世や来世の出来事が弾き出されるように飛び出てくることがあるのかもしれない。
ということで、精神的、肉体的に刺激を与える快感を覚えるとやめられなくなりそうである。
創作活動をする為に薬物やお酒に頼ることがあるのは、このためだろう。
ただ、度を過ぎれば、創作活動どころではなくなるのが、大いなるリスクである。
そういえば、昨日図書館で借りて読み始めた虚空 稲垣足穂という折目博子さんの本で紹介されている稲垣足穂という小説家も毎日一升飲むくらいの大酒飲みだったらしい。
私の最近の晩酌はサントリーオールドをストレートグラスにせいぜい2杯程度である。
さて、これから明日が返却期限の村松大輔さんの量子力学的習慣術の残りを読むが、そう言えば、半世紀以上前に稲垣足穂という人は量子力学のことを同じように解説しているのがすごい。
正に時間と空間を操る量子力学的な現象である。
本の受け売りであるが、周波数を合わせたら、何処へにでも行ける。
天国へも地獄へも。
天国にばかりいると地獄も見たくなる。
地獄にいたら、何も起こらない平和な日常に戻りたくなる。
さて、明日はどの世界の出番であろうか。
気に入らなければ、すぐにチャンネルを変えようと思うが、じっくり味わってみるのも捨てがたい。
だんだんといい味が出てくるかもしれないからだ。
人生は面白い、奥の深さを知れば、やめられなくなる。
生き絶えるまで楽しもう。出来れば。
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