心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後425日目、今日は快晴、スピリチュアルなセッションを受けに京都に向かう。

ということで、今日は昨日の大阪からの帰りに聴き始めたムード歌謡のアルバムを聴きながら電車に乗っている。


今かかつているのは、わたし祈っています、という、かなり昔に流行って、カラオケとかでよく歌われていた曲である。


今、スナックで歌うサラリーマンとかかなり減ったんじゃないかと思う。


そういえば、昨日のインスタライブでは、エゴと損得、というテーマで話をされていた。


エゴは人間だから当然あるもので、悪い物ではないと言ったり、エゴをとっていくと素晴らしい世界が見えると言ってみたり、もうどっちでもよくなってくる。(笑)


損得感情にしても、損と感じることはしなければ良いだけである、と言われた。

単純な事である。


もし、何かのしがらみで、それを仕方なくやり続けているとすれば、自分を犠牲にしているので、結局は長続きしないし、心身に歪みが出る場合もあるだろう。


そんなこんなで、昨夜はちょっと難解な部分もあった。


ただ、最後に、私が昨日大阪で一日目に教わったことを早速実践したことを発表したら、喜んでくれて、一人の主催者からはメールが来たり、もう一人の主催者はストーリーズで私の発言の部分をスクショして載せたくれた。


さて、今日の京都セッションはどんな結末が待っているだろうか。


まあ、これだけは博打みたいなもので、ピッタリくるかどうかは分からないが、しっくりこなくても、無理にでも今後の自分の人生にプラスになるように解釈することにしよう。


まさに、損得感情の世界である。


損得を超えた世界で生きると、また見える世界も広がるだろう。


それが魂レベルで生きる話になるのであるが、今夜の魂との会話に期待することにする。


京都は私に何を教えてくれるだろうか。


私が出すのが先だろうか。


出さなければ返ってこないのか。


よく天にお願いをしたら、違う形で天は叶えてくれるという話があるが、漠然とでも要求すれば、明確な何かを返してくれるのかもしれない。

要求するものがはっきりするまで行動しなければ、何も達成出来ずに人生が終わってしまうのかもしれない。


出来る範囲で一歩づつ進んでいくことにする。


今世で出来なかったら、来世でやろうというくらい、のんびり行くことにする。


何も恐れる必要はない。

ここまで生きられたのだから。


少し開き直った方が面白い人生になるかもしれない。


とりあえず、口に出すと、天が必要なことであれば、叶えてくれるだろう。


これからの人生はじっくり味わうことにする。