心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後394日目、秋晴れ過ぎて、ウォーキング決定、気持ちのいい朝

ということで、公園のベンチからである。


昨夜はさそり座の新月だったので、ある方のインスタライブで新月瞑想をした。


手の上に月を置いた後、月を手の中に包み込む瞑想をするのであるが、手の中がとても熱くなった。


さそり座の新月は、要らなくなった縁を断ち切る日ということだったので、高校の時好きだった人との縁を断つと言ってしまった。(笑)


ちょうど46年前の今日の20時からテレビでやっていた、俺たちの旅を観ながら、その彼女に長電話したことがあった。


そういう記念の日に、縁を断ち切るというのも、何かの縁だろう。(笑)


そのかわり、新しい縁がまた巡ってくるらしい。


インスタライブの主催者は、女優であり、司会業をやったり、空中ヨガのインストラクターだったり、コンテストのスピーチ指導をされたりしている方であるが、その方もやっていた一つの仕事を昨日断ったので、また次の仕事が入るだろうと仰っていた。


とても確信を持っておられた。


その後カードを引かれたが、人前に出る、というカードが出た。


これは9月10日の魚座の満月の時に現れたもので覚えていたので伝えたら、その時の会話も思い出してくれて、盛り上がった。


ということで、今日からまた少しずつ月が満ちてくる。


月は満ちたり、欠けたりを繰り返しながら、何を教えてくれているのだろうか。


人生も満ち欠けがあるということを教えてくれているのだろうか。


ただ、月はいつも満月の状態で存在していて、見え方が満ち欠けしているだけである。


人間もそうだろう。


見え方は変わっても、中身はいつも完全体である。


外観に目を向けることに飽きたら、内面を見てみよう。


手塚治虫さんの火の鳥のように、永遠の命が燃え盛っているだろう。


偶然にも、昨日はアマゾンプライムで、火の鳥黎明編の一話を観た。


小学生の時、COMという雑誌に掲載されていて、読んだことを思い出した。


さすがに、図書館には無かったので、このアニメを観ることにする。


月の満ち欠けのように人生も満ち欠けがあるが、中身はいつも完成体である。